そういえば「欲を持たないように」「欲を無くせ」という心がけをときどき目にしますが、

手持ちの仏教書(禅)の中で、そう書かれた書物なりを見かけたことがないです。


放下着(のぼせるな)とか知足(うらやむな)あたりが近い気がしますが、
言い出しっぺは誰なんでしょうか。

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たとえば『不可思議(不思議」』という言葉は

もともと『不可(だめ)』『思議(考察)』ですから
「考えるべきでない」

であるはずが、現代ではどちらかといえば考えることを助長する意味合いになっています。


より顕著なものに『言語道断』があります。
これは以前から再三取り上げていますが、
本来は『言語(言葉は)』『道断(道を断つ)』、
すなわち修行中に念仏なり瞑想なりを行うときに、ふと浮かんでくる言葉が妨げになる、
という意味だったものが、
とんでもない行いを非難するときに用いるように使われていたりします。
(廃仏毀釈の影響があったのかもしれません)


「欲を捨てる」
「欲を持たない」
など、実際は奇妙な表現に思えます。
これも不可思議や言語道断のように、もっともらしく伝わってしまった結果、今の小さな混乱を生む原因になっているのではないかと解釈しています。

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欲は、気にしなくていいはずです。

欲に振り回されたくなければ個々の基準でブレーキをかけるものですし、
行っちゃう人は止めたって行っちゃうもんです。

その欲が必要と判断すれば、ときにのめり込んだりするものですし。
なによりあまり長いことご自分と戦っていると寿命がきちゃいますから。


ここで使うのが「あるがまま」という言葉なのではないでしょうか。

余計にとらわれないで。


だから、ちゃんとした坊さんは言うのです。

『あれこれ考えずのほほんとしているのが一番だ』

臨済