六祖慧能は寺の食料の脱穀係で、僧ではなく、坐禅と縁はありませんでした。


坐禅は有意義な修行の形です。
でも、なくてならぬ行為ではないです。


なんで、こんな事に気付かなかったか。
禅の歴史、それもターニングポイントにあたる場面で「必ずしも坐禅は必要ではない」と明記されている、ということです。


私は以前「坐禅しなきゃ悟りなんかとてもとても」と「禅学者」の方向に進んでしまっていました。


ケースバイケースになると思いますが、
若い方々に、この件、
「坐禅無用」をお伝えいただきたいです。


よろしくお願いします。

 

 

 

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無題

この件に関して、先日、元・坊さんの師匠も

「この間、BSで中国のとある禅寺の風景が流れていましたが、
僧侶がみな、めいめいにリラックスした姿勢で修行に取り組んでいました。
実に心和らぐ光景でした」

と、おっしゃっていました。

とん

2012-05-06 14:37:19