昭和十三年?芸術映画社製作「脚の人生」
ポリドール専属歌手 上原敏
唄 上海だより
音楽 服部逸郎
構成 中山良夫
(靴職人が靴を作っている)人はおぎゃあとこの世に生まれ落ち、その二本の足で大地を踏み締めて歩き始める。まっすぐな道、曲がりくねった道、上り坂、下り坂。滑らかに舗装された道路、風が吹けば砂塵が舞い踊るでこぼこ道、水たまりだらけの裏路地ーー
(道を渡る人々の足元)
(都電らしきものも手前を通っている)
都会の道を覆う本格的なアスファルト舗装は、明治十一年、神田昌平橋にはじまり、大正七年の「道路法」制定を受けて国策として道路の改良、舗装が進められた。その道路の上を颯爽と歩く人々の足元といえばーー(ビルの中から外へ出て行く人)
(但書)下駄の方は草履におはきかえ下さい
T露路の細道、駒下駄でーー
古来より日本の人々が履いていたのは、草履、雪駄、下駄など。
芸妓の履き物といえばおこぼ。特に出立ての芸妓の履くおこぼには鈴が仕込んであり、歩くたびに涼やかな音を響かせるとか。
(沓脱石から上がって行く足元)
(並んでいる下駄など)
T明治時代(下駄、雪駄、草履)
岩倉使節団はアメリカの製靴、つまり靴を作る工場を見学した。革偏に化ける書く「靴」という漢字が定着したのはその数年後であった。しかしーー
T大正時代になっても、靴はあまり普及していなかった。都会である銀座でさえ、大正十五年でも女性の九割九分が和装であった。ようやく
T昭和となって、男女ともに徐々に洋装と靴は浸透して行く。しかしそれでも、和装とその履き物が廃れることはなかったのである。
(雑誌の写真)
(雑誌の記事)
高級羅紗リファインテックス
(洋食レストラン)
(ワイングラス)
(木彫りの大黒様)
(手縫い)
(寿司折提げて歩くサラリーマン)
(妻の前で正座)
靴の文化が定着しても、裸足で大地を踏み締めると何やら力がみなぎるような。
(かけっこ)
(走り幅跳び)
(三段跳び)
(人々の足元)
やがてーー遠くの方から戦争の足音がーー「軍靴の響き」が聞こえてくるのであった。
(新聞記事)盲爆誣告に躊躇せず
武装都市を徹底爆撃
顧みよ英の非人道行為
(別の新聞)わずか一本の電線で
十軒がモシモシ
今度は住宅電話
(別の記事)プール完成
(別の記事)江南に雨季来る!
濁水岸を呑む揚子江
(広告)固形浅田飴
(足でリズムを刻む)
(レコード)
しかし、そんな状況でも、いや、だからこそ
T韋駄天の足より速い流行歌
映画もトーキーの時代を迎え、人々はダンスホールに、カフェに、シネマに足を運ぶ。
(人々の群れ)
(カフェの飾り。ト音記号、音符)
(チンドン屋)
(人々の歩く様)
(自転車を漕ぐ人)
(馬を連れて歩く人)
(荷車の横に「浅草公園」の文字)
(店の前に水を打つ)
(公園のベンチで横になる男)
(母親と子供)
(階段を降りる和装の女性)
(雑踏)
(映画館のポスターを見ている女性)
成瀬巳喜男監督「禍福前後篇全部上映大会」「双葉光子」
(トロンボーン)
(ヴァイオリン)
(ドラム)
(船の汽笛)
(雑踏、長め)
昭和初期まで、靴は高価なものであり人々は苦労して手に入れた靴を大切に履いた。汚れれば磨き、底がすり減れば直して履き潰すまで履いた。それが昭和三十年代に大量生産されるようになった「セメント靴」の登場とともに、靴は日本全国に広まったものの、一転して今度は「履き捨ての時代」になったといえるかもしれない。明治三年、西村勝三によって築地入船町で、ほぼ同時期に浅草でも靴の製造が始まった。(靴職人の店内)日本の靴は、このように山あり谷あり起伏の多い「人生」を送ってーー今も私たちの足元で息づいている。記録映画「脚の人生」これにて全巻の終わり。