叔父の葬儀の日に新たな誓いを。  | B&Fab「本」と「ものづくり」と「珈琲」

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本(Book)とモノづくり(Fabrication)を中心に、人が集まり会話が生まれる憩いの場、そんな場所を作りたく、ただいま奮闘中!(または迷走中)

享年65歳 

 

今日叔父の葬儀が終わった。 

 

 

 

数年前に心臓病にかかり治療を続けていたが、突然仕事中に倒れた。脳梗塞だった。倒れてからは車椅子の生活を余儀なくされ、懸命にリハビリに励んでいた。ようやく杖をついて歩けるようになった叔父に、神様はさらなる試練を与えた。ガンが発症したのだった。 

 

僕がそのことを知ったのはほんの1ヶ月前のことだった。急いで山梨に帰省して叔父の入院している病院に駆けつけたところ、思った以上に元気そうだったので、ひと安心して帰ってきたのだが、それからあっという間だった。 

 

叔父の体力は思った以上に低下していて、治療に耐えるのは難しいだろうというのが医師の診断結果だった。本人の希望で自宅で闘病することになったのだが、母からの電話で、日に日に体力が低下していくのが素人目にもはっきりとわかる状態で、あまり長くはもたないのではないかということだった。 

 

日程を調整してお見舞いに行こうとしたその日の朝に息を引き取った。 

 

 

 

叔父は僕の母の弟で、僕とは13歳離れている。僕が小学校の低学年の頃ちょうど20歳くらいだった叔父はカッコイイ車に乗った憧れの存在だった。

 

車とコーラとプロ野球観戦が大好きで、巨人の大ファンだった。そして何よりも掃除が好きで、いつも帰ってくると部屋を箒で掃いていたのを、よく覚えている。 

 

その掃除好きが高じたのか、30歳を過ぎたころに掃除屋を起業した。30年以上前のことなので、その当時はそう呼ばなかっただろうが、まさにベンチャー企業だった。 

 

建築中のマンションのサッシとか、ビルや飲食店の床磨きとか、ニッチなビジネスには結構なニーズがあったようだった。 

 

僕も学生のときアルバイトしたことがあるのだが、思った以上にハードワークで、1週間でギブアップした。 

 

 

掃除好きで仕事熱心で責任感の強い叔父は、早朝、日中、夜と1日3件の仕事を請けることを、当たり前のようにやっていた。昔から頼まれると断れない性格だったようなので、もしかしたら無理をしていたのかもしれない。それなのに近所の病院などに行ったりして、少しでも汚れていると「汚れてるね。よし掃除してあげるよ」と言って、忙しい中時間を作って掃除をしてあげる。もちろん無報酬で。 

 

そんな伯父だったから、いつ休んでいるんだろうというくらいに、いつも忙しそうに動き回っていた。けれど僕は叔父から「疲れた」とか「めんどくさい」とか「やだなぁ」とかの愚痴っぽい言葉は、一回も聞いたことはない。いつも近くにいる家族に聞いても、おそらくそういうことは言ったことはないのではないか、ということだった。 

 

だから家族からは愛され、友達からは信頼され、近所の方からは親しまれるそんな人だった。 

 

そんな誰にでもいい人と呼ばれる叔父が、なぜ、心臓疾患を患い、脳梗塞で倒れて半身不随になり、肝臓と肺に癌が発症して、普通に生活することを諦めなくてはいけなかったのか。おそらく本人は体力が衰え後継者にバトンを渡したら、好きな車でドライブして、コーラを飲みながらテレビで巨人戦を観戦してゆっくりと過ごしながら、これまでの自分自身の頑張りをねぎらってやろうと、思い描いていたのではないのか。悔しくて残念でならない。 

 

 

叔父は生前、僕のことはいつも褒めてくれていた。学校の成績や、スポーツ大会のこと、結果ではなくそのがんばりを褒めてくれた。僕が上京してからは年に一度会うか会わないかであったが、それでも会ったときには、必ず僕の近況を聞いてくれて「偉いなぁ」と言ってくれた。脳梗塞で倒れてからは、しゃべることが不自由になってしまったため、言葉で聞くことはできなかったが、おそらく心の中では褒めてくれていたと思う。 

 

1年前に僕が会社を辞めたときは「勝秋は大丈夫か?」と僕の母によく尋ねていたらしい。もしかしたら、子供を持たなかった叔父は、僕に何かを期待してくれていたのかもしれない。恥ずかしながら、その期待にはまったく応えられていない。 

 

 

 

今朝、自宅からの出棺前に叔父と最後のお別れのとき、確かに叔父は僕にこう言っていた。 

「人生いろいろなことがある。だけど決して諦めてはだめだ。辛い時や苦しい時ほど余計なことは考えずに、ただ自分のできることを精一杯にやりなさい。人のせいにしたり環境のせいにしたりしても何も変わらない。自分で決めたことを信じて自分自身を信じて、しっかりと前を向いて歩いて行きなさい。悔いのないように」 

 

 

叔父は自分の生き様をもって、僕に大切なことを教えてくれた。 

 

その期待に応えられるよう、残りの人生を全うしなければならない。 

いつか叔父に再会した時に恥ずかしくないように。 

 

 

「ほんとうに感謝しています。いつも見守っていてください」