会社がイヤになったら、僕の上司だったあの人を招待してほしい | B&Fab「本」と「ものづくり」と「珈琲」

B&Fab「本」と「ものづくり」と「珈琲」

本(Book)とモノづくり(Fabrication)を中心に、人が集まり会話が生まれる憩いの場、そんな場所を作りたく、ただいま奮闘中!(または迷走中)

「おい、S課長はどうした?」

朝の部長はあまり機嫌が良くない。

 

「すみません。わからないです。自宅に電話しても留守電でした」

「なんだぁ! 昨日また行ったのか?」

「たぶん、私は一緒ではなかったので……」

「今度やったら、減給だと言ったよな!」

「はぁ」

「来たら俺のところに顔出すように言っておけよ!」

 

僕がまだこの会社に入って間もない頃だから、いまから約25年前の話。僕の上司だったS課長が、朝会社に出社して来なかったのだ。部長に突っ込まれるのはわかっていたので、僕はその5分前にS課長に連絡を試みていた。

当時は携帯電話などなかったので、本人から電話が来ない場合は、自宅に電話をするしかない。しかしS課長の自宅に電話をしても、まず出ることはなく留守電になることを僕は知っていたのだ。

だってS課長は間違いなく自宅にいないのだから……。

 

 

S課長は、たしか当時35歳くらいだったはずで、ベテランのシステムエンジニアとして技術力には定評があった。やせ型でメガネをかけていて、根は明るいのだが見た目は暗い。まるで脳の中に公式が詰まっているような、超ロジカル人間だ。

思考だけではなく会話もロジカルなので、真剣に聞いているととても疲れる。だから僕はS課長と話すときは、30%くらいしか聞かないようにしている。もちろん真剣に聞いているようなフリをしながら。

 

S課長は独身だ。見た目はそれほど悪くないのだが、あのロジカル口調で一方的に話されて好感を持つ女性は、おそらく東京ドームが女性だけで満員になったときに、一人いるかいないかくらいの確率だと思う。

「君さぁ、ちょっと見はかわいいんだけど、よく見ると右と左の眉の角度が2度くらい違っているよね。左右のバランスって大事だから、残念だな」とか平気で言ったりするのだから。

 

住まいは一人暮らしで、本人がいなければ電話に出る人はいないので留守電になる。

なぜ、自宅にいないのかというと、S課長はシステム開発と同じくらい酒を好んでいる。そして酒を飲むと途中で止めることのできないタイプだ。飲みに行くと必ず終電のなくなる深夜まで飲み続け、タクシーで帰ることは稀で、サウナかカプセルホテルで寝ることがほとんどだ。まあ、それでも翌朝出社してくれば問題ないのだが、よほどのことがない限り昼頃まで熟睡している。僕はそのS課長の習性を入社してすぐに気付いていた。

 

たいがいは昼過ぎに突然出社してきて、何食わぬ顔で自席に座って仕事を始める。一度無断遅刻はよくないのではと、ゆるめの忠告をしたことがあるのだが、「二日酔いの状態で無理して会社に来て全く仕事が進まないより、十分に睡眠をとってきて効率的に仕事した方がいいに決まっているだろう」と、S課長ならではのロジカルな理由で一蹴された。

僕はそのとき「朝会社に来られないのがわかっているのだから、深夜まで飲まないで早く帰ればいいだろう」と、ロジカル的に反論しようとしたが、話が長くなって面倒なので、何も言わずにその場を去った。

 

 

S課長には、飲むと止まらないクセともう一つ、飲んだときに必ずでる癖がある。実はこっちの癖の方がやっかいであると僕は思っている。

 

それは説教をすることだ。本人は説教のつもりはないようなのだが、理詰めで話すものだから、相手に反論の余地を与えない。しかもそれが延々と続くのだから、ターゲットになったらたまらないのだ。

S課長は相手を選んで攻撃するのではなく、誰かれ構わずターゲットにする。部長や社長に向かっても平気でやってしまうのだ。部長ならまだしも社長までも呼び捨てにしてしまう。

本人は気分良く説教しているのかもしれないが、見ている方はヒヤヒヤして気が気でない。

 

 

そんなS課長が、この会社でクビになることもなく、むしろ出世していることは、みな不思議に感じている。おそらく彼の技術力の高さを、社長が高く評価しているからだろう。

たしかにロジカル人間であるS課長の作るシステムは、際立って正確で効率が良い。みんな口を揃え『美しいシステム』だという。ある意味芸術品と言っても過言ではない。

仕事に関しては超一流なのだ。「飲まなければね~」がS課長に対する共通の評価だ。

しかし本人はまったくそんなことはおかまいしに、自分の思うように振舞っている。

 

 

「あのさ~、お前は何で人が決めたことを正しいと思ってやってんの? みんな自由を尊重するとか口では言ってんのに、何でルールを決めて押さえつけようとするのかなぁ? 俺はそれが我慢できないんだよね!」

ある日のランチタイムに、S課長が突然何の前触れもなく僕に問いかけてきた。

「課長の言っていることはわかりますけど、みんなが勝手にやっていたら、組織としてまとまらないじゃないですか!」

「じゃ~お前は、まとまった組織を作りたいために働いているのか?」

「いや、そうじゃないですけど。技術力を高めて社会に貢献したいなと……」

「そうだろ、みんな大事なこと忘れて、どうでもいいことを当たり前だと思ってやっているだけなんだよな。何が楽しいんだろうな?」

「……」

S課長がこんなことを考えていたのかと、そのとき初めて知った。

 

 

S課長は、その1週間後に突然会社を辞めてしまった。噂で聞いたのだが、無断遅刻が原因で、部長と大ゲンカして啖呵を切って辞めたらしい。

 

 

それから半年後、S課長と仲の良かった他部署の先輩に、いまはパチスロをして生計を立てているという話を聞いた。会社にいる当時から、暇さえあればパチスロの必勝法を解析していた彼らしい生き方だと妙に納得した。きっと60歳になった今も、どこかでパチスロをしながら、誰かに説教をしているのだろうな。

 

S課長が最期に言った言葉が、僕にとっては、まるで遺言のようになってしまった。

そして僕はいま、その遺言を何回も読み返すようになっている。

 

 

 

会社や社会に疑問を感じながらも、自分で行動するほどの勇気を持てずに、それに従ってなんとなく生きている人は多い。実際僕もそうだった。

「会社や社会が勝手に決めたルールに従うなんてバカだよ。自分の生き方や働き方は自分で決めるべきだろ!」

 

 

もし会社のことがイヤになって、会社に行きたくないけど行かないといけない。そんな思いで悩んでいるなら、ぜひあなたの心にS課長を招いてほしい。

「おぉ、パチスロでひと儲けして、カラオケ行って朝まで歌おうぜ! 会社なんて行きたいときにいけばいいんだから」

と陽気に誘ってくれるはずだから。

 

(了)