日本人とユダヤ人の古代史&世界史❸ 田中英道×茂木誠 | ウインのワクワク「LIFE」

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本書より】

 

第3章 秦の始皇帝からキリストの時代へ(紀元前300年~)

そもそもイエスはユダヤ人であり、イエスをローマ人の総督に訴えて処刑させたのもユダヤ人~。(田中)

 

ローマ法王における反逆罪への刑罰は、磔刑でした。しかし「イエスは3日後に蘇った」と証言する弟子たちは、イエスを救世主(キリスト)として崇め、その奇跡のストーリーを世に伝え始めます。これがキリスト教の誕生です。(茂木)

 

神々を認めず(ローマ)帝国の祭礼を否定するキリスト教徒を反逆者として処罰しました。(茂木)

 

イエスを訴えたユダヤ教徒も一神教ですから、「やっぱりローマの多神教はいやだ」といって独立戦争を起こします。~135年の「第2次ユダヤ戦争」では徹底的に攻め込まれエルサレムは廃墟となってしまいます。(茂木)

 

この時からユダヤ人は国を亡くし、世界に大々的に散っていきました。(田中)

 

原始キリスト教は二つの派閥に分かれます。それは《イエスの母マリアを、祀るか祀らないか》ということです。(茂木)

 

多数決の結果、アタナシウス派のマリア崇拝が公認されました。これに反発するネストリウス派「異端」とされ、はローマ帝国内での布教が禁じられた結果、東方の国々へ散っていきました。(茂木)

 

唐や飛鳥時代の日本にはこのネストリウス派がやって来ました~ザビエルが来日する1000年以上前の話です。(田中)

 

日本では、聖徳太子がそれ(原始仏教)を否定したのです。~個人の悟りの追求というよりも、人々が社会生活の中で仏教を活かすべきだという聖徳太子の思想ですね。(田中)

 

個人宗教のキリスト教は、カトリック教会が共同宗教に変質させ、これを破壊したルターやカルヴァンの宗教改革でまた個人宗教に戻りました。ここから西洋文明という「病」が始まります。明治以降の日本人もこれに毒されました。(茂木)