”「日本人に謝りたい あるユダヤ人の懺悔」 モルデカイ・モーゼ著 昭和54年発行” | ウインのワクワク「LIFE」

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2020年9月29日投稿記事

 

 

 

気にかかった文章】

 

1戦前の日本に体現されていたユダヤの思想

西洋の君主というものはそれこそマルクスのいう支配者、搾取者である。一般大衆は被支配者、非搾取者に甘んじなければならない。

 

 

かような西洋の君主は、いざ革命、戦争、政変のあった場合は、直ちに自己の生命の保証と財産の保全を求めて亡命等を計るのを常とする。したがって、マッカーサーも最初天皇が訪問の希望を述べた時、非常にきびしい顔をしていたという。いってみればそれは当然のことであろう。日本の天皇もいよいよ生命の保証と財産の保全のため~。

 

 

日本国憲法は~ユダヤ人がユダヤ思想に基づいて作った作品である。

 

 

日本人は幸せだと思うのである。何故か。ヨーロッパの王朝というものはみな混血である。

 

 

王朝の権力が強くなることはどうして悪いことなのか、と疑問をお持ちのことと思う。

 

 

ルソーは「我もし随意に祖国を選べといわれれば君主と国民との間に利害関係の対立のない国を選ぶ。しかし現実にそのような国があろうはずもないから~」といっている。ここにすべてが盛られている。

 

 

日本の天皇制には決して利害関係の対立などない。~人間精神の最も高尚なものが両者(天皇と国民)を結んでいるのである。

 

 

国家というものがあるためにユダヤ人は過去幾千年、迫害、虐殺をくり返されていたものである。自己をこのような悲惨な境遇から救うためには、国家というものを顛覆することが唯一の方法だったのだ。

 

 

特に君主制の打倒というのが最大の目的となったわけである。

 

 

残された有力な君主制は、東洋の一角に燦然と輝く日本の天皇制だったのだ。ユダヤ人はこれの打倒に全精力を注ぎこむことになったわけである。

 

 

ユダヤ勢力は~コミンテルンの日本出張所として誕生した日本共産党に「天皇制」打倒を至上命令として実践させた。

 

 

戦後天皇制が類例のないものであることを初めて知るに及んで、天皇制の存続を計ったわけである。~戦後史の解説書などでしばしばいわれている天皇制存続の理由、「占領政策のため利用する目的で存続させた」といったことが如何に認識不足か~。

 

 

戦前の日本には、八紘一宇という大精神があった~西洋の宗教の如き排他性のない~。

 

 

満州の近代化の成果は、現代に至るも中国の工業の心臓部である点をみても分かることである。これを可能にしたのは、八紘一宇の大思想のしからしむるものである。

 

 

国際連盟といっても、教科書的歴史観しか教えられていない日本人にはその本質を知る人は少ないようだが、これはユダヤ人の世界政府ともいうべきものである。

 

 

ユダヤ人は非ユダヤ人の協力者を集めるためマルクス主義の階級闘争史観を宣伝したのであり、その結果エピコーネン(亜流)としての各国共産党を生んだのである。

 

 

アルベルト・トーマは「日本では家族制度が強固なため階級闘争、つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である。何故ならば、労働者は失業しても労働運動などする必要はない。家族が暖かく迎え入れてくれるからである。この家族制度なんとかしない限り~」

 

 

ここでまた日本人にお詫びしなければならないのであるが、この日本のすばらしい家族制度を破壊したのは我々ユダヤ人なのである。具体的には、占領改革の時ニューディール派が行ったものである。

 

 

ユダヤ人がマルクス主義的変革を実行するためには、家族制度は国内の君主制といわれるが如く邪魔な存在だったのだ。

 

 

日本人は、何故ユダヤ人に医師、弁護士が多いかご存じだろうか。~医師、弁護士というのは、家族の秘密にタッチする機会の極めて多い職業である、というのが本来の理由なのである。何の目的のために?勿論、家族制度の破壊のためである。

 

 

現在のユダヤ人社会では、戦前の日本にあったようなすばらしいものではないにせよ、家族制度というものは固持されている。恐らく世界一のものではなかろうか。

 

 

ユダヤ人は、福祉ということはあまり考えない。これ(福祉)は家族制度のアンチテーゼ(否定)だからである。

 

 

レーニンはユダヤ人なのである。

 

 

義理人情から出た結果なら、戦前の日本人なら決してそれを追求せず、そっとしておいてやる雅量をもっていたと思われる。~しかるに戦後、単純に汚い八百長と同次元に~。

 

 

必敗(日露戦争)と予想されていた日本へ計算高いといわれるユダヤ人が何故に金を貸すのか。~そこには、日本の義理人情に匹敵するユダヤ人の「涙」があったことを是非ご理解いただきたいと思うのである。

 

 

戦前の日本人には「男は度胸」「女は愛嬌」という言葉があった。これは皆様も欧文に翻訳する時困った経験をおもちであろうと思う。~当然のことである。何故なら、この両者は欧米人の男女とももち合わせていないのであるから。

 

 

戦後の若い世代の日本人には、もはやこんなこと~「男は度胸」「女は愛嬌」~を感ずる余地はないようである。この両者を戦後完全に失ってしまったからである。

 

 

残念ながら、現在の人類の理性の水準では、西洋人側の単純極まりない思考法が表通りを大手を振って歩いているのである。これでは人類の進歩はあり得ない。

 

 

私は結論として、当分の間日本人は外人に対して美徳を与えることは差し控えて、外人以上の低次元の感情的、非理性的、本能的な態度でもって外人に接するべきではないかと考える。

 

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