日本再興戦略」「中華帝国」論「チベット」編【09~11】 藤井厳喜✕ペマ・ギャルポ | ウインのワクワク「LIFE」

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気にかかった文章

 

【09 習近平の宗教嫌い:信徒の宿舎をブルドーザーで破壊…根底に巣食う危険思想】

四川省ですけれど本来のチベットのお寺で、お坊さんや尼さんが非公式 には3万人、公式には1万人いると言われています。その半分以上は中国人(漢民族)です。~習近平になってからブルドーザーでそういう人たちの宿舎を壊しました。
 

彼ら(漢民族、マレーシアや台湾からも華僑)にとっては多分ダライ・ラマ法王は怖い存在です。

 

中国の敵は中国です。 

 

鄧小平は「1,000人を外に出せ。われわれは人口が多いからすぐに 帰ってくればいい」と言ったけれど、多分60%ぐらいは帰っているのです。 この 60%ぐらいの人たちは外の空気を吸って帰っているから~自由を求めて立ち上がってくる可能性があるのではないかと、私は思ったりしているのです。

 

49 年に共産党政権ができて、それから朝鮮戦争 が起きて、50年に中国がチベットに軍隊を送ってきて、51年に17条の条約を結びます。まさにそのころ中国は家事場泥棒的にやったのです(チベット侵略)。

 

チベットの人口が 600 万人と言われている中で、120 万人が殺されたということはすごい~(藤井)。
~アムネスティを始めとする国際機関もその数字を使っているし、中国もこの数に対して一度も反論していないのです。~餓死させたれた~強制労働収容所で死んだ人などを全部含めてです(ペマ)。

 

それはあっという間に負けました。チベットはまだそういうつもりではなかったので、平和を祈れば平和になるとのんきなことをやっていました。

 

われわれにやっていることは人間が人間にやることではないです。
 

恐ろしいことです。
 

 

【10 文化大革命の予行演習:虐待、拷問、民族浄化…残虐な共産党を作る物質主義の恐怖】

中国の男性とチベットの女性の結婚は「友好民族」と言って、その間の子どもは中国人の行く、良い学校に行くことができるのです。だから人種的にも浄化するというか、そういう政策もやっていました。 

 

私はとにかく日本の皆さんに知ってもらいたいので『チベット入門』という本を~世の中に出したときに日本の通産省の関係の研究所の中国の専門家の人が、「ペマ・ギャルポはどうせ支配階級の人間で、ダライ・ラマ一味だからあんなことを書くのだ」というような反論を書きました。

 

本当に信じてくれたのは、1989年の天安門事件です。 あれがきっかけで~。

 

文化大革命は約10年だけれど、そのときに本当に寺院が破壊され、僧侶、特に女性の尼さんたちに対する性的~実はそのもう10年前から予行練習のようなことをやっていたということですね(藤井)。そういうことです。だからある意味で予行練習は成功したということでしょう(ペマ)。

 

 

 

【11 チベット分離と心臓病:中国に囚われたパンチェン・ラマの不可解な死】

結局チベットで手柄をたてて、今度はウイグルに行って同じこと、あるいはそれよりももっと悪いことをやっているのです。


この文化大革命で私たちにとって本当に苦しかったのは、残念ながら世間が信用してくれないということです。

 

天安門事件というのは本当にわれわれにとっては、“A blessing in disguise(変装の恩恵:自動翻訳)”

 

要するに中国というのは外交に関しては本当に計画的、数式的にうまくやる国です。 そういう面では、私たちは小さいけれどよく戦ってきたなと思います。 そしてその経験を本当は日本を始め、周りの国々が少し勉強できたらと思います。