「国土が日本人の謎を解く」 大石久和著 | ウインのワクワク「LIFE」

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気にかかった文章

・動物の去勢ができるようになったのは、江戸時代に入ってからだと言われている。それほどに、長い間、私たちは家畜として身近に置いている動物をわれわれと同じように扱ってきたという証拠であると思う。遊牧民族が去勢技術をもたずに、馬を使いこなせるはずがない。したがって、かれらは馬を戦闘や移動の道具として使うために、遠い昔から去勢の技術をもっていたのだが、それはわれわれとの大きな違いになっている。

 人間だけが特別な存在ではないという私たちのこの感覚は、きわめてユニバーサルで重要な考え方ではないか。われわれが誇りにすべきものの考え方なのではないかと考える。

 

・他国との感覚的な差異は「死生観」である。「死の受容」と「死の拒絶」という感覚の違いがある。~私たちの死は、普段は恵みをもたらしてくれる自然の気まぐれで死んでいったのだから、恨む相手がいないし、復讐のしようがない死である。これは、むりやりもたらされた死への怒りをぶつける対象がいないという、本当に悲劇的な死の受容である。

 

・わが国の氷河期には、氷河は山脈の山頂部分にだけあったから、この氷河が融解していくとき、風化岩を山岳部に残していったのである。

 風化岩が山岳地帯に残っているということは、わが国に地震や豪雨が多発するという条件と重なって、これらの岩が簡単に崩落し、土砂流や土石流となって麓の集落を襲うという厳しい条件を生んでいる。

 広大な平野に居住地を構えることができるヨーロッパとは異なり、山腹の麓に住宅を設けることの多いわが国では、豪雨による斜面崩壊とともに、これらの災害が毎年のように人の命を奪っている。

 

・世界的にみるとそれは、中国の三峡ダムやアメリカのフーバーダムの一つ分程度でしかない。したがって、日本の水資源量は、世界の国々に比べて決して豊かなものではない。そのため、現在でも頻繁に各地に渇水が生じ、水道水・農水・工水の取水制限が行われている。

 

・日本の自然条件というとき、忘れてはならないのは「列島の位置」という地理的条件である。

 まず一つは「大陸との距離」である。つまり、重要なのは、真ん中に対馬が存在するものの朝鮮半島と日本列島を隔てる「対馬海峡の幅が広く約200キロもある」ことなのである。

 これにより、世界中到るところで、民族同士が「血で血を洗う」ような凄まじ紛争を何千年もの間、繰り返してきたが、われわれはその「紛争影響圏」の外に立つことができたということなのである。

 

・大軍が簡単に越えることができたドーバー海峡で他国と隔てられたイギリスと、遣唐使船などの小船団ですら、二回に一回は難破してしまうほど大陸と隔てられた日本との間には大きな違いがあり、これがわが国の歴史や日本人の成り立ちを規定してきたのである。

 大陸と日本列島は、大軍は越えてくることはできないけれども、文化は何とか入ってくることができたという実に微妙な距離だった。このわが国の位置がわれわれの歴史を育んできたのである。太平洋の真ん中に他の文化と接触することなく、ぽつんと孤立して存在していたのではなく、苦労すれば大陸や半島から何とかたどり着ける位置に日本があったことが大きい。

 

・「人命を賭してでも実現しなければならない正義がある」というのが、西洋文明の根幹にあるからこそ、フランス革命の厖大な死も生まれたのである。ところが、われわれ日本人は「殺人を犯してまで実現すべき正義など一つもない」と考えているのだ。

 

・四方を急峻な山々に囲まれた盆地か、または山々に三方を囲まれて、一方だけが海に開けているといった小さな扇状地で暮らしてきたのが、私たちであった。

 なぜこれらを強調しているのかというと、大きな平野が広がっている中国の中原やヨーロッパでは、こうした狭い領域にのみ閉じこもって暮らすということがなかなか困難であったということの対比で述べているのである。

 大平野の世界では、広域を支配するために大きな権力がうまれ、その権力が周辺の権力をのみ込んでさらに大きな権力となって、広大な地域を統治するという政治形態を生んでいったのである。

 

・年貢を納める責任が個人ではなく、村全体にあったことも土地の所有権に与えた影響が大きい。領主にとってもその方が何かと便利であったし、収入も安定したに違いない。江戸時代には、何事においてもそもそも「所有権」という観念がなかったとの説もある。われわれは「権利」という言葉ももたなかった不思議な人々だったのだ。

 

・ヨーロッパでは「公」が生まれ、それが今日の「市民」につながっているが。私たちは「共」を発見して、共々(ともども)にあることを何より尊び喜ぶ文化、話し合いで決まったことが何よりも優先されるという融合の文化を生んできたのである。

 現代社会は話し合いに優先する規則がなければ成り立たないが、援助交際に走った少女が「私たちが話し合って行ったことなのに、何でいけないのですか」という問いを発するほどに、今でもわれわれを拘束しているのである。