我がランニング経歴色々まとめてみた | ラーメン B級グルメ 好きランナー masaru

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私のランニング歴

元々10代に陸上部に所属していた事もあるが、その時と時代が変わり過ぎてランニングの考え方も今とは全然違う。

そん時は中学、高校とも県駅伝はレギュラーで出てた程度のレベルだったね。

個人でもせいぜい県大会に出れたレベル。

まあたいしたことない。 

兵庫県だった事もあり、当時は報徳西脇工業(西脇工業 報徳と順が逆なのもミソ、当時報徳の方が強かった、須磨学園は当時女子校 強くもなかった 県内は飾磨工業や神港学園がそれなりに強かった)

まあ上二つが決まっていたのは夢が無かったなあ。

全国駅伝で報徳西脇工業がワンツーフィニッシュしてたもんなあ。


忘備録的に40代以降のラン歴を振り返ってみた。

まあ10代の頃は某陸上部に所属していたが、今みたいに科学的トレーニングは無縁だったかなと思う。

インターバルやペースラン、ビルドアップラン、レペテーション、ウィンドアップ、クロスカントリートレーニングはしていたが、走り込み中心の練習。

腹筋、背筋、腕立て等はしていたが、ドリル等は殆どしていなかった。

昭和な脳みそ筋肉的なトレーニングだったなあ。

なぜか炭酸飲料も禁止!(こっそり飲んでたけど)

ランニングフォームも腰高や前傾や腕振りくらいは言われたが、具体的なフォームの事は言われなかった。

骨盤や肩甲骨、着地位置なんて言われた記憶がない。

オッさんになり、故障が続いたため、最近の知見を取り入れ中。

中学の時はランニングシューズなんかで走らなかったなあ。

ペタペタな運動靴。

今の方が余程良い靴。当時走っていた土のグランドは滑りまくるし。

それでも1キロ3分40は切るくらいのペース走。

秋くらいからは200メートルグラウンド1周46秒から42秒あたり。まあ大会が近いと42から44秒くらいになる。42であれば3分30、43であれば3分35って感じ。それを6キロから10キロ走る。

休足日は日曜日かテストがある時くらい。

大会2日前くらいから練習量落とす。


反面中学はシーズンオフはゆっくりしてた。

だいたい中学の冬場は部活の練習時間が昼夕は30分くらいしかなくて、走力がオフの間にかなり落ちる。

で春先から体を作り秋の大会に備える感じだった。


高校はインターバル、ペース走、クロスカントリー、レペテーション等、やってたかなあ。


まあ今思えばかなり適当だったなあ。

まあ昭和のトレーニングってそんなもんなんだろね。

よほどYouTube等、動画の方が科学的である。

走りも体で覚える感覚であった。


おっさんになり、怠惰な生活を送ってた私に転機。

2012年久々に40歳を越えフルマラソンにチャレンジしようと2012年の第2回神戸マラソンに申し込み当選。

その時は体重も超過気味で、このままではメタボで成人病一直線。身体を動かした方が良いと思い久方ぶりに走り始めることになる。

元陸上部であったこともあり、世間のマラソンブームの中、黙視出来なかった面もあった。

数ヶ月間準備して、減量もしつつ、その年の神戸マラソンに参加した。記録はグロスが3時間34分、ネットで3時間27分だった。


久々のラン再開であったが、記録的には上出来だったかなあと思う。

しかし年齢重ねるとキロ5分て、こんなしんどいものなんかと思ったねー。サブ3.5ってキロ5分くらいで走らないといかんのかーって。

学生なんてサブ3のキロ4分15でもジョグに近いからなー。てジョグだったかなあ。

まあ合宿の40キロ走とかなら、サブ3ペースなんて余裕だったよねー。

でも中高生はマラソンはしないしねー。

中学でも普段の練習でキロ3分30くらいで6〜10キロ走らされてたし。

年取ってスピードの低下ぶりに驚愕したわー。

若いってだけで、かなりアドバンテージはあるもんさ。つくづく思う。

私で200メートル土のトラック1周48秒でキロ4分 50秒でキロ4分10秒の感覚はジョグ。


ラン再開時、その時はウェアの進歩にもビックリしたなあ。皆オシャレにもなってたし。

自分らの時代はTシャツも綿だったり、CWXのタイツなんてなかった。

ランシャツ、ランパンはあっても、ポーチはない。

ラン用ザックもない。ゼリーなんかない。GPSの時計等もなかった。

レースの測定もチップ計測があるなんて思いもしなかった。

久々にラン再開し、浦島太郎な気分だった。

シューズは薄底シューズ、通気性も今ほど良く無い。


ランを再開して気づいたけど市民ランナーって大半が中年から走り出していて、すでにオッさん、オバさんになってから体作りしないといけない。

そのせいか走りを見てもバネが無いんだよなー。

動きが小さい、脚も上がってない。ストライドも狭い。

若者のランを見て走りの違いは一目瞭然。

やむを得ないとは言え年取るって辛いなあ。



さて自分のランに戻り、翌年2013年は10月末の大阪マラソンに参加。

前半突っ込み過ぎて暑さにもやられ、3時間35分に終わる。モヤモヤだけが残った2回目のフルマラソンだった。

12月に西脇子午線ハーフマラソンに参加して1時間32分台。中々状態が上がってこない。

何かを変えないといけないと思い、そこから更なる減量をしてみることになる。

それが効果あったようで、徐々に記録が上がり、年明け武庫川新春のハーフマラソンは1時間27分台まで記録が伸びた。武庫川河川敷は土のコースで中々記録が出にくいので良い感じになってきた。



そして2014年2月の神戸のバレンタインラブランハーフ(距離が短い)にて1時間22分台を出し明らかに上昇気流に乗る。

サブ3がはっきり視界に入る。

3月の篠山ABCマラソンにて3度目のフルマラソンでネットサブ3を達成。


4月は10キロで37分代後半で走る。

2014年度は8月末にハムストリングを故障し、約1ケ月半程故障して走れず。

10月末の大阪マラソンは体重増加もあり、悲惨な結果に・・

11月の神戸マラソンはギリギリサブ3.5まで回復

年明け2015年は京都マラソンで3時間10分台。

消化不良の1年を過ごす。


2015年秋も少し故障。

2015年12月年末に10キロで36分台後半を出して復活。

しかしその少し前から左アキレス腱付着部に違和感あり。これが故障生活の始まりだった。

それをかばいながら走りフォームも崩れている感じ。

年明け1月の大阪30Kはキロ4分一桁平均で走る。

2016年2月別府大分毎日マラソンは大会前から左脚が痛くなってきた影響もあり、練習不足に・・

大会当日は後半痙攣もあり3時間06分に終わる。

マラソン後日に受診して左アキレス腱付着部炎、足底筋膜炎の診断。ここから長い故障生活が始まる。


リハビリを継続して、なんとか走れるようになるのが2017年6月、1年半くらいも痛みが続く生活。

2017年6月くらいから走りだす。

2017年11月 六甲シティマラソン10キロ、39分台で復活。 大阪マラソンはスタミナ不足でサブ4程度に終わる。

年明けて2018年2月姫路城マラソンは3時間22分。

前半突っ込み後半失速パターン。体力が戻りきらずイマイチな結果に。まあ秋に走れれば良いとその時は考えていた。

しかし2018年9月、リレーマラソン参加中にまたも故障 今度は右踵、しばし様子見。2018年12月松江城マラソン3時間40分台で走る。

2019年1月痛み続くため受診する。予想通り右足底筋膜炎の診断

その後アキレス腱、足首の硬さあるためリハビリやストロイド注射を行う。

2019年9月頃よりなんとか走り出せる。

2019年10月半ば、今度は左足底筋膜炎を患う。

金沢マラソン、大阪マラソン途中棄権。

2020年6月頃より走り出し再開。

2020年3月頃より整形リハビリ時に機械のショックマスターを使うようになる。ショックマスター治療が良かったのかな使用後は徐々に脚も良くなる。

 それから1年半 プライベートも忙しくかなりの体重増加ありながら コロナもあり大会もなくトロトロラン。

モチベーションも下がり気味に過ごす。

2021年秋頃より徐々に走り距離を増やそうと試みる。


2022年年1月頃左脚裏剥離骨折後遺症にて痛みが表出。さらに左膝裏筋も痛みあるため受診するとMRIにて左大腿骨内腫瘍がある事が発覚。筋も少し石灰化があったようだ。

腫瘍は良性。手術もなく6ケ月に1回の経過観察で落ち着くが、病院通いも続き、1月から9月までまともに走れず。


ジムトレか山歩きで体重減に取り組む。

2022年3月東京マラソン。ファンランに徹し、5時間50分でゴール。

しかし体重増加著名、人生最大級の体重になってた。


2022年春以降、大会も再開でエントリーも始まる。

2022年5月よりジムトレ開始。7月から本格的な減量始める。2022年9月よりランニング再開。大幅な体重増量のため減量に一苦労。

2022年5月以降は土日はトレイル中心でロングラン出来ずにハイキング中心。平日はジムではクロストレーナーでの有酸素運動や、筋トレに取り組む。

故障を繰り返した事により筋トレを重視したトレーニングに切り替える。

8月に右足首に突如痛みが発症。痛風になる。

また右足首は石灰化あり、痛風と共に石灰沈着性腱板炎の診断。

水抜きしてもらうとかなり水が白く濁っていた。

幸い10月頃には体重もかなり減らして血液検査も問題なく痛風治療は終了。当然服薬も終わり。




久々にマラソン大会参加。

11月頭富山マラソン 結果は4時間22分代。

キロ5分20くらいまでで何とか17キロくらいまで走れるようになる。

2週間後、11月中旬 神戸マラソンに参加。

3時間55分台。

久々サブ4 。大会ではサブ4を条件にしているレースもあり、最低限の走りは出来たなあと安堵した。

12月後半 加古川河川敷の大会。30K 2時間30は切れる。

2023年、1月ハーフは1時間33分台。


なんとかここまで戻ってこれた。

振り返ると、まあよく故障したなあと思う。

反面学生の頃って全く故障しない強靭な体質だった。

それが油断となったのかもしれない。

今まで加齢とケア不足、どちらもだよなー。

まあ貴重な体験でもあったなー。