ギターの話 | 「かつのブログ」

「かつのブログ」

ごく適当なことを、いい加減に書こうかとw

下記、「テーマ」の一つを選んでクリックすると、そのテーマの一覧が表示されます。但し、Javascript が有効な場合のみ。


テーマ:
実は私はかなり昔からクラシックギターを弾いています。で、最近、最新の方式を満載したのを発注して、これを期に色々と勉強しましたので、突然ですが、ギターの話など。

まずはギターの進化の歴史から。実は、ギターに限らず、コンサートで使われる楽器の進化とは、主として音量拡大の歴史でした。



始まりはインドのシタール


ギターという楽器の祖先は、インドのシタールなんだそうです(諸説あるようですが)。
シタール(Sehtar)はラテン語でCithara、これがスペインに渡ってGuitarra、でこれが英語のGuitarになりましたとさ。いわゆるムーア人が大航海時代の「日の沈まぬ国」スペイン帝国にシタールを持ち込みました。15世紀になりますかね。まあ、どうでも良いことではりますがw
という訳で主にスペインで発展しました。だからか知りませんが、今でもギター音楽=スペインという印象はありますわな。



リュートとの関係


もうひとつ、よく似た楽器にリュートがあります。基本的な構造は同じなんですが、こちらの起源はアラビア半島らしいです。言葉としてもLuteはal-'ud(木製)というアラビア語が元だそうです。リュートは複弦ですが、ギターも元々は低音が複弦だったそうです。現在のギターは通常6コース6弦ですが、最初は4コースしかなく、ガット(羊腸)を用いた事から音量のバランス上、複弦にする必要があったのだそうです。金属巻きのガット弦が出てきてから、単弦になったみたいです。
リュートはルネッサンス期 (14世紀 - 16世紀) には最も人気のあった楽器ですが、バロック時代 (17世紀 - 18世紀半ば) に最高潮を迎え、18世紀後半には殆ど使われなくなりました。大バッハは数多くのリュート曲を残しており、今日では多くのギタリストに演奏されています。

因みにギター製作者を今日Luthier(リューティエˈluːtiə)と言いますが、これはリュート(仏語でLuth)を作る人の意味ですな。
また、リュートは円孔ではなく、強度を得るために模様のような形で孔が開いていて、これをローズと言いますが、これがギターのロゼッタ(円孔の周りの飾り模様)の名の由来です。

つまり、作ってる人達は同じだったから、構造も徐々に似てきたのでしょう。



ギターの衰退とギター・ブーム

バロックの衰退と共に、ギターやリュートは使われなくなります。これは音楽が少数の貴族のお抱え楽師の時代から、コンサートで大編成のオーケストラを使ったものに代わって行ったことによります。当時のギターは、オーケストラに入れるのには、音量が小さすぎたのです。

しかし何故か19世紀に入ると、欧州でギター・ブームが訪れます。カルカッシやソルなどの偉大なギター音楽の作曲家が生まれたのもこの時代です。ただ、未だこの時代のギターはサロン的な音楽であり、コンサート会場で弾かれるような音量は持っていませんでした。
思うに、逆にサロンなどで少人数で間近で聞くようなケースでは、バイオリンなどは音が大きすぎたからではないかと。

この時代に、基本的なギターの形は出来上がっています。機械式糸巻きを有し、ブリッジにサドルを設け、ロゼッタのある円形のホール、象牙あるいは骨でできたナット、低音用に金属を巻きつけた弦、等。



コンサート・ギターの分岐点

この頃、現在のアコースティック・ギター(アコギ)の原型を作った "C.F.マーティン" は、1833年に渡米しています。いわゆるアコギのスチール弦を誰が最初にやったのかは諸説ありますが、これは音量の(特に高音の)ためばかりではなく、安価に大量に作るほうが大きかったようです。しかも長持ちしたため、ガット弦より数段お得ということだったようです。

その後米国では X ブレースと言われる力木構造が考案されて、大量生産できるようになり、上記のスチール弦ともあいまって、アコギが大衆音楽の主役としての地位を得たわけです。
現在のアコギ(フラット・トップ)は音量を求めて大きくしたボディー、スチール弦を支えるためのブリッジピンや糸巻きなどに特徴があります。

一方、ギブソンに端を発する いわゆるアーチトップは、同じくスチール弦を先に用いていたバイオリンに似た構造を持ちますから、f 字孔を持つアーチ状のボディーは大きな板から削りだされていて内部に力木(ブレース)がありません。

元々は、アーチトップは大量生産のフラット・トップよりも大きな音量を求めて作られた構造ですが、結果的には現在ではフラット・トップの方が音量で勝っているようです。これはギターの発音原理との関係から、バイオリンのようなテールピース(緒止め)と板状のブリッジ、厚い音響板では音量が得られないのです。ギターのサドルは捩れながら音響板を鳴らすので、弦がサドルに対して強い角度を持つ必要がある (弦をサドルに強く押し付ける必要がある) ことが、現在では判っています。バイオリン型ですとこの角度が小さすぎます。
また、力木の配置はウルフ・トーンにも影響するので、この種のものは大きめのウルフ・トーンがでるのではないかと思うのですが、私はアーチトップを持っていないので真偽は判りませんw

クラシックギターはこれとは全く異なった進化をしました。
スペインでトーレスという人が、マーティンの渡米と、ちょうど時を同じくして、現在のクラシックギターの構造を作ったと言われています。で、トーレス以前のものは 19世紀ギターなんて言い方をして区別されます。
ファン・ブレーシング、薄くした音響板、650mmの弦長とかがこの辺りで決まっています。これも、基本的には音量を求めた結果だと理解しています。これにより、ギターが再びコンサート楽器の地位を取り戻すことになります。
それまでよりボディーも大きくなったようですが、ただボディーサイズを大きくすると音量は上がりますが立ち上がりが鈍るので、限界はあります。



ナイロン弦の出現

20世紀になると、ギターも更に進化し、ナイロン弦の時代に入ります。当然、クラシックでも、スチール弦が試されているのですが、主流にはなりませんでした。
ちょっと考えてみれば判ると思いますが、ナイロン弦はスチール弦よりもずっと後です。当たり前ですね、だってあれは石油化学工業の成果なんですからw 

これはオーガスティンという米国の会社が最初で第二次大戦後です。当時、すでにギタリストとして名声を博していたセゴビアの依頼によるのだとか。ロドリーゴのアランフェス協奏曲は1939年で、ナイロン弦の開発がその直後というのも、時代の要求でしょう。



新たな潮流 ~現代のコンサート・ギター~

トーレス型のギターは様々な名器を生みましたが、現代の名器は更なる音量を得ています。
まず、スモールマンという人により開発された、カーボンファイバによるラティス・ブレーシングと極薄表面板 (= 音響板)、アーチバックの重量級裏板などです。

無名のリューティエだったスモールマンは、「オラ、ギター作ったでよ。ちょいとマエストロに弾いてみて欲しいだよ。」 ってなもんで、既に名声を得ていたギタリストのジョン・ウィリアムスがラジオの収録で待っていたところに ずかずかと勝手に持ち込んだら、ウィリアムスは速効で気に入って、「こりゃいい、今日のコンサートで使おう」 となったのだとか。

今日では「ダブル・トップ」という、ハニカム構造のカーボン・ファイバを超極薄の音響板でサンドイッチにした構造がありますが、かなり高価になります。
これはダマンという人のが最初で、ダマンのギターは数百万円もするのに、オーダーは3年待ちの大人気なのだとか。日本でも今は色々な作家が作っているようで、私はダブルトップは好きです。

似た考え方で、真ん中に別の音響板を設けた Double Tapa(Tapaはスペイン語で裏板)というのもあります。

要するに、表面の音響板が軽ければ軽いほど、簡単に弦の振動が伝わって音になり、持続性もある(弦に与えられた振動エネルギーの音響変換効率が高くなる)ということです。
ボディーの横板に別の音響孔を設けたものも多いです。高域が良く響くようになります。

サドルに金属のピンを用いたものもあります。私が思うに、これは普通の板状のものとは少し振動伝達の動作というかモードが物理的に違うように考えられます。これは元HPのエンジニアだった人が開発しました。いわゆる「職人」ではないからこそ、自然科学に基づく発想ができたのでしょう。

音量の関係を先ほどのアコギとの関係で述べると、コンサート用のクラシックギターはマーティンの非常に大型のドレッド・ノートなんかよりもずっと大きな音がするそうで、両方使っている人の話では、ホセ・ラミレスの最下級ですら音量で上回るのだとか。当然ならが、音色も非常に魅力的です(無論、アコギとは違う魅力ですが)。

ただ、非常に高価です。要するに元々が量産の楽器か、クラシックのコンサートで使う手作りの楽器か、ということでしょう。
特に今はポピュラー音楽ではPAが前提だけに、そちらでは音量の価値が低いですから、お金をかけてやる意味は無いのでしょう。要するに、Rock Violin にストラドを使う人はいないということです。

ただ、弾きやすくするための工夫としては、アコギの構造も徐々に取り入れられてきています。
たとえば、カッタウェイ(これに類するものではレイズド・フィンガーボード)とか、ネックのロッド、指板のラウンド形状とかです。



経済と楽器の関係

変な話ですが、ギターに限らず、楽器ってのは意外と経済によって栄華衰退が決まってきたように思います。芸術性や表現力が高いかどうかではないと思うのです。

その昔、楽師とは貴族や教会に仕えて彼らの望む音楽を作曲し、奏でるパフォーマーでした。その後、作曲者と演奏家は分離され、演奏家は大人数を集めた 「コンサート」 というものが考案され、これで演奏家はお金を稼ぐようになります。

ギターが一時衰退したのは、PAの無かった時代に大人数を集めたコンサートで、音楽をお金に変えるためには、大音量の楽器が必要だったからです。だから音量の小さい楽器はオーケストラにはありません。
実際、ブロックフレーテやリュートもありませんわな。

バイオリンだって、ストラディバリウスやガリネリウスなどの17世紀の名器も、当時のままのものは殆どありません。19世紀には音量を求めて、現在残っているものは大概は改造されています。特にスティール弦を張るようになって、改造に耐えたストラドは評価を高め、かつてストラドよりも高評価だったシュタイナーは殆ど壊れてしまったのだとか。

アメリカでマーティンが成功したのは、安価に作れる構造ができて量産できるようになり、それがフォーク音楽~それに端を発したカントリー~ロックに至るまで、大衆音楽の要求に適合したからです。
フルートは、開発された当時は嫌われていたそうです。だからモーツァルトはフルート協奏曲を二曲しか書いていません。フルートは金属を使うようになって初めて価値を得ました。
リュートの経緯は既に述べたとおりです。



クラシック・ギターの価値と音質

では、ギターの価値とは何でしょう?
ギターはピアノと同じく、「完全な楽器」です。ソロで複雑な音楽を構成できます。しかも完全楽器ではないヴァイオリン以上に、音色の変化を大きくつけることができるので、感情表現にも優れます。これはピアノには無い特徴ですから、音色変化は重要なポイントです。

逆に弱点としては、音量が小さいことです。
ただ、述べたように現代の名器はついにこの欠点を克服しつつあり、SPL(Sound Pressure Level:音圧)でみて従来のものよりも20dB(約10倍に相当します)も大きいという表記を見たことがあります。

SPL というのは電気で言えば電圧に相当し、空間への広がりと時間での積分が音響エネルギーになりますわね。空間には通常どんな楽器も球面分布になるので、違いをみるなら時間積分、つまりサスティンが長ければエネルギーが大です。

音響工学的な見方をすると、ピアノの音響効率ってのは非常に低くて、0.2~3%ぐらいです(当然、残りの大部分の振動エネルギーは熱になります)。ピアノが大きな音が出せるのは馬鹿でかい図体に太く長い弦が張ってあって打弦のエネルギーが大きい、というだけの理由なのです。
コンサート・ギターは通常で10~17%ぐらい、ダブル・トップなどの新形式はもっとずっと大きくなります。だからあんな細い弦と小さなボディで大きな音がでるのですね。

楽器にとって、音の大きさというのは音楽表現にも重要な要素で、極端に小さな音になればコンサートでは聞こえなくなるのだから、表現として音の変化を求めるなら大きな音が出せるというのは、弾き手にとっても聴取者にとっても大変重要です。

なんとなれば、ギターの中でも音量があって音のよい楽器が価値がある、という非常に当たりまえの話になります。

音の良さってのは主観的なものですから、人によって好みが分かれます。今でもトーレスが最高だという人だっていますし、先に述べたように、最新の方式がベストだというマエストロもいます。

しかし人は、往々にして主観と客観の区別ができません。特に音楽や楽器製作の訓練を積んだ人ほどそういう傾向があるようです。そういう人は、物理学とかの訓練は受けていませんから、致し方ないのですが。



ギターに関する伝説

で、そういう区別ができない人達の中には、昔の楽器は音は仮に小さくとも音の遠達性がある、なんて事を平気でいう人がいます。

そんなことは、物理的にありえませんw

もし本当にそうなら、可能性としては:
 1) スペクトルに大きな違いがある
 2) 撥弦してから消えるまでの持続時間に大きな違いがある
の二つしか物理的な違いはありえないのですが、どちらも聞いたことがありません。

物理的にありえない話を、さもありそうに言うのは、「自分は集中していれば空中浮揚ができる」とかのたまう人と同じですw

ギターの話をしましたが、オーディオなんかでも同じです。主観と客観との区別ができる「音のわかる人」ってのは、本当に数えるほどしかいませんね。

先のヴァイオリンの話でも、過去の名器はそもそも音量を求めて改造されて使われているのでして、昔は良かったと懐古趣味に走るのはいつの時代でも仕方の無いことだし、また過去の名器を否定はしませんが、だからと言って現代の楽器を自分の妄想で否定するのは如何なものかと。

その他にも、以下のような伝説があります。

 セゴビアがスペインの民族楽器をコンサートに持ち込んだ?

こんな批判をする人がいるのだそうですが、(強ち否定できない面もあるにせよ)正しいとは言えません。
そもそも、述べたようにはるか昔から芸術音楽を奏でる楽器でしたし、コンサート楽器としての地位を失った19世紀でも、例えばヴァイオリンの歴史的な名手・作曲家として有名なパガニーニは、主にギターを使って作曲していました。また沢山のギター曲を残しています(実際、ギター演奏のほうでも有名で、相当な腕前だったらしいです)。

 塗装(特にその薄さ)で音が決まる?

こんな話も良く聞きますが、どうなんでしょう?
フラメンコ・ギターはゴルペ板という、ピックガードに似たもの(ボディを叩くため)が付いています。実際、私の持っているフラメンコ・ギターにもありますが、だからと言ってクラシックギターに比して特に鳴りが悪いとも思いませんし(鳴り方は違いますけど)、これを外しても鳴りに差はありませんでした。もし塗装の重量が問題になるなら、ゴルペ板なんか問題外だと思うのですが・・・

 ヴァイオリンの名器は?

何億円もすることで有名なバイオリンの名器「ストラディバリ」や「グァルネリ」は、現代のバイオリンと大差ないとする意外な実験結果を、パリ大学の研究者らが米科学アカデミー紀要で発表しました。これは、有名な国際コンテストに 集まった21人のバイオリニスト(バイオリンコンクール受賞者とその審査員)の評価 (ブラインドテスト) では、現代の(と言ってもかなり高価な一流のもの)楽器のほうが優れているという評価だったのだそうです。

オーディオとかでもそうなんですが、人間は相当な部分まで視覚情報に頼っていますから、視覚が妨げられた時に、何処まで聴覚が正しいのかは結構な疑問なのでして。

まあ楽器に関して言うなら、間違いなく一番重要なのは楽器よりも弾き手でしょうねw



日本の音楽教育とギター

その弾き手に関連して、不思議なんですけど、日本の音楽大学にはギター科って殆どないんですよね。特に30年ぐらい前は皆無でした。今は東京音大なんかに僅かな定員であるみたいですが・・・
因みに、世界の著名音楽院とかではギター科は普通にあります。

ただギターに限らず、日本では弦楽器弾きの試験科目に「ピアノ副科」なんてのがあって、ピアノの能力が必ず要求されるから、実質的には世界的なヴァイオリニストだって入れなかったりするわけですわ。阿呆なんじゃなかろか?w

だから何時までたっても10年遅れているなんて言われるのです。つまり演奏家として生き残るつもりなら、日本で音大に行ってはいけないということでしょうか?

世界的なギタリストは何人かいます。
中でも山下和仁なんて人は、16歳の時には世界の三大ギターコンクールを総なめ(しかも史上最年少)にして、19歳の時にはドイツのレコード賞までとってますからな(ムソルグスキーの「展覧会の絵」、山下本人による編曲)。

当然、どっかの音大が特待生とかで来てくれとか言うと思うでしょ?
ところが長崎大学の工学部に入学しています(卒業は経済学部)w

余談ですが、あらゆるジャンルのギタリストの中で、山下が世界最高のテクニシャンだと私は思っていますよ。
ロック系の人は、村治佳織は知っていても山下の名を知らなかったりするのが残念でなりませんw 実績でも技でも山下の方が格段に上なのに。
私は、彼の「展覧会の絵」の出版された楽譜を買った事があります。で、どうやっても弾けないと感じたのですが、演奏会に行って生の演奏をみて二度びっくりしました。楽譜の方は「普通人向きに」割愛された音が多くあったのです。もはや人間業じゃないと思いましたね。
更に、音量というかダイナミックレンジの表現や、音色の変化がすごい。つまり高い音楽性を達成するための、超絶技巧ということです。

というわけで、東京芸大は山下を客員教授に招くべきだ! というのが私の主張ですw

なお、これは聞いた話で真偽は不明なのですが、日本ではコンセルヴァトワールを出た一流のフルート奏者よりも伴奏のピアノの先生のほうが偉かったりして、そちらのチケット販売を強要されたりするから、嫌になって止めたり日本を飛び出したりする人が多いのだとか。馬鹿じゃなかろか?w