枠を越えるとは「 大空を翔く鳥のように」なること。 | katsu「人生と自由の美学」

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LIFE STYLE = 人生
『自分を活かし自由で美しい人生を』をテーマに、「考え方」「仕事の仕方」「資質の活かし方」「生き方」「LIFE STYLE」をお届けしています

どんな人も全て、
仕事や生活の中で「」と呼ぶ
意思決定の幅を持ち動いて
毎日ができている。







仕事や生活の中で
成長 , 向上 , 発展 など、
今までとは違う自分に出会う為に
枠は広げるものでもある。
言い換えれば、
枠は個人の持った制限の幅




例えば、
サンタクロースはいないと思った瞬間から
サンタはいなくなるのと同じように、
無いと思ったら人生に無くなる。





人の意識とは面倒なものだ。

こんな風に思っただけで
制限の幅を作るのだから。





生きてきた環境で、
自分では気づかず持った
小さな枠のままであるのは、

自由に翔ける鳥が
鳥カゴの中にいるようなもので、
本質的に鳥が持つ
空を飛ぶ機能は活かされない。




鳥カゴの鳥だとして、
今から空を飛ぶ不安はもちろんあるだろうが、

鳥カゴの幅が枠のままだったとしたら、
一生の間で鳥である存在意義を
感じることはないだろう。





いつの間にか持ってしまった
思い込んだ考えや、
誤って認識した誤認してることが
普通の状態なので
本人も気づき難くもあり、

それ故に、
受け取り受け入れがあるかによって、
枠が広い人狭い人がいるのも事実。




自然と動く枠の意思決定が
自分の世界を狭くして
広げないようにしていたり、

価値観センスなどを
磨かなくしているとするなら、

自分自身に目を向けてみることも
大事だろう。




目を向けることで、
本来持っている資質才能をセーブして
本領発揮できないままいることにも気づける。




仕事や子供など、他者を見ていたら
よく分かる部分でもあるが、

事実とは違って、
頭でできないと思ってることも
実際はできることもあったりするものだ。




身に余る身の丈以上の動きは危ういが、
枠を越えた少しの挑戦や
小さな挑戦を繰り返す事で、
今までの自分が
狭かったことにも気づける。




枠がある前提として、
鳥カゴの枠の幅がどこまでも
無限に広い姿の人を柔軟さがある人と呼び
そんな人物からは自由を感じられる。




もしかしたら、
自分の考えが発展途上で
鳥カゴを作っていただけで、
本当は可能性だらけなのかも知れない。



これは必ず言えることだが、





枠組みを越えた時、
人は新しい自分と出逢う





そう、作られているんだ。



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