良いとか 悪いとか。 | katsu「人生と自由の美学」

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LIFE STYLE = 人生
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良い・悪い

 
と言うものがある。
 
 
社会や人の意識が交差する中で出来上がったものである。
 
 
ただ その人や物や物事は
 
そこにただ そう存在するだけで
 
良いとか 悪いとか と言うモノも無い姿でただあり
 
人が判断する時に 自分の常識内で それを 良い・悪い で判断する。
 
 
人で例えると解りやすく
 
他がこの人は良いと言う
 
声や情報で受けた自分の常識で判断し
 
他がこの人は悪いと言う
 
声や情報で受けた自分の常識で判断する。
 
 
それは自分や自分の人生的に
 
上手く流れる意識や人生を誤りやすい。
 
 
人や物や物事は
 
フラットで見る眼を持たねばならない。
 
 
他の声や情報でなく
 
自分の常識の枠内でなく
 
広く大きな眼で全てを見る癖をつけなければならない。
 
 
他の声や情報・自分の常識の枠内では
 
全てが小さくなり自分の可能性も小さくする。
 
 
判断基準は
 
自分がそれを好き」かどうかだけ。
 
 
悪いとされるモノでも
 
そこに自分の必要な人生の糧があるのなら
 
触れ・手にし・学べばいい。
 
 
他の声や情報や自分の常識で判断するのは勿体無い事である。
 
 
「自分が好き」かどうか ただそれのみ。
 
それが自分の答え。
 
 
それが誤りだったとしても
 
自分の判断で決めた事。
 
そこに文句も何も無い。
 
 
例えば
 
明治の開拓者 吉田松陰
 
吉田松陰は捕まり牢屋の中で勉強をした。
 
牢屋の中で出来る事。
 
 
ただ 本を読む。
 
 
牢屋の中で自分を悲観してたら
 
本を読む事すら無かったのかも知れない。
 
 
そして牢屋を出た後「松下村塾」を立ち上げ
 
そこから明治の時代を動かす若者や人間
 
多数生まれ総理大臣などが生まれる。
 
 
牢屋に入ってた者を悪い とした判断だけだとしたら
 
その時代の明治は無いのかも知れない。
 
 
そして
 
好きの反対は嫌いでは無いという事。
 
 
好きの反対は 普通 という事でしか無い。
 
 
好き・嫌いの判断は自分の人生を誤りやすい。
 
好きか 普通か。
 
 
自分から見た時 ただ 普通があるだけである。
 
 
人は普通の事には特に反応しないし 何も口を出さない。
 
 
普通のモノに何かを言うのは
 
自分の好きに対する自信のなさが現れる。
 
 
自分を信じきれてない自分への裏切りにも近いのかも知れない。
 
 
こちらも読んで頂きたい。
ブログ記事 信じるという事
 
 
ただ 好き だから。
 
それだけで良いのである。
 
 
人が人として与えられた力「選択」
 
 
時代や人に翻弄される事なく
 
広く大きな眼を持ち
 
選択できる人が多いと良いなと思う。
katsu





 
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2016年6月  再アップ記事





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