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とある投資家の備忘録(ブログ)

宇宙とか、株式投資とか、本とか、犬猫とか

4月の終わりごろ、ちょうどゴールデンウィーク明けのコンプガチャ・ショックが起こる前に、このブログで「三つ巴」として、グリー、DeNA、サイバーエージェントを取り上げました。

そして昨日のグリーの決算発表で、コンプガチャ・ショック後初の3社の四半期決算が出そろいました。


さらにその決算を受けての今日の株式市場における3社の時価総額を4月末時点の時価総額と比較してみます。


こうしてみると多少の振れ幅はあるものの、株式市場では四半期ベースの利益の変化に追随する形で株価が形成されているように見えます。

ただ利益の変化に株価が追随しているように見えると言っても、それではもともとの株価水準そのものが妥当であるのか、という点については、私には現在の市場の評価が必ずしも正しいようには思えません。

例えばグリーに関して言えば、前期800億円を超える営業利益を叩きだし、競争や成長に必要な投資のためのキャッシュをフリー・キャッシュ・フローから十分に捻出できる状態を保ちながら、少なくとも今期も同程度の利益を出せることが予想されている訳ですが、今の時価総額は3千億円程度に過ぎず、キャッシュ・フローをベースとしたバリュエーションとしては明らかに過小評価されているように見えます。

こういったバリュエーションの過小評価は他の2社も概ね同じような傾向にある訳ですが、ニュースやネットでの反応などを見ると、特にコンプガチャ問題以降、これらの企業にはネガティブキャンペーンとでも呼べるような反応が多く、そのような将来性に対するネガティブな部分がバリュエーションを押し下げているということがあるのかも知れません。

ケインズが言うところの美人投票において、これら3社はいま明らかに票が集まらない不人気な状態にある訳ですが、株式市場において中長期的に成果を出したいのであれば、ケインズのアドバイスにしたがって、美人投票には参加せず、企業の本来価値と株価の関係を見極める必要があります。


今回のオリンピックの日本選手の中では、水泳やサッカー、レスリング、あるいは女子の卓球やバレーなど、チーム全体として着実に力をつけ、それを結果に結びつける姿が印象的でした。

ところで株式投資とスポーツのチーム運営には似たところがあります。例えばプロ野球の場合、短期的には1球1球や1回毎の攻防があり、9回の攻防で1試合、年間144試合でペナントレースが争われ、それが何年、年十年と続いていきます。

同じように株式投資においても、一回一回の投資判断(売買)があり、その結果で一日の損益が確定、それを一年続けて年間の損益(決算)が決まり、それが何年、何十年と続いていきます。もちろんプロの投資家や、売買の利ザヤを抜くトレーダーでもなければ、投資家が毎日売買を行うということはないでしょうが、売買を行わないという判断を行っているという意味では、毎日何らかの投資判断を行っているということになります。

また株式投資でもスポーツのチーム運営でも、中長期的に素晴らしい成果を達成・持続することが目的であり、そのために日々の練習や勉強、実際の試合や取引を行う訳ですが、常に目先の相手や取引に勝とうとして、小手先の対応で結果を出そうとすることが、1年後や4年後、更により長期の成功へとはつながらないことは、私には議論の余地もない自明の理のように思えます。

にもかかわらず巷に溢れる株式投資関係の情報やニュースは、ほとんどが短期的な成果や結果を意識したものばかりであることは、私にはとても不思議に感じられます。

日本の株式市場は約20年前のバブル期のピークから4分の1以下、2000年初めのITバブルからも2分の1以下に低迷していますが、経済あるいは個々の企業の状態自体がこれほど低迷しているとは考えられません。

株価というものは非常に複雑な要素が絡み合って形成されていく訳ですが、今の株価を押し下げている要因の一つとして、投資家全体の能力不足ということがあるように思えます。つまり目先の取引に勝とうとする(あるいは負けを防ごうとする)小手先の対応が、20年前や10年前のバブルを生み、そして現在の株価の低迷を生んでいる一つの(そしてもしかすると大きな)要因になっているということです。

プロ野球チームであれサッカーチームであれ、一度低迷してしまったチームを優勝を狙えるようなチーム状態に戻すためには、目先にこだわらず中長期の視点でチーム編成や運営方針を整える必要があるように、今の日本の株式市場では、一人でも多くの投資家が中長期の視点で株式投資に取り組むことが、投資家本人のためだけでなく、株式市場が低迷から脱却する処方箋になると考えられるのです。
前回のブログで、私のこの一年の株式ポートフォリオの決算として、損益(P/L)としてはプラスを確保したものの、純資産(B/S)としては大幅なマイナスだったと書きました。
今回改めて計算してみたところ、確定した利益としては1年前の純資産に対して約11%のプラス、そして現時点での純資産の評価額は1年前に比べて約24%のマイナスでした。

また現時点でのポートフォリオの全銘柄の保有年数は平均で約3.65年、最も長く保有しているもので約7.58年、短いもので約1年でした。そしてポートフォリオ全体の損益率はマイナス8.52%、最も良いものがプラス63.72%、最も悪いものがマイナス70.99%、評価がプラス(益)のものとマイナス(損)のものの割合はほぼ半々といった状態です。

ただこれを現在保有している銘柄の過去の損益まで通算して計算してみると、全体の損益率はプラス12.90%、最も良いものは変わらず63.72%、そして最も悪いものが26.25%という結果になります。

この数字だけを見ると、利益が出ているものを早めに売ってしまい、損失が出ているものを売れずに長く持ってしまう傾向があるように見えますが、株式投資では「雄牛(ブル)は階段をゆっくりと昇り、熊(ベア)は窓から飛び降りる」と言われるように、投資期間全体で見ると利益はゆっくりと少しずつしか出ないが、損失は一気に大きく出るということは、ある程度避けられず、今はまさに熊が飛び降りた直後、といった感じです。

また最も大きなマイナス銘柄はいわゆる「塩漬け」状態のもので、一般的には良くないといわれるものですが、既にそうなってしまった以上、売ってもたいした投資資金にはならないので、そういう銘柄が1つか2つ程度であれば、あえて売り急ぐ必要もないと考えています(もちろんそうならないに越した事はないですが)。

企業の決算であれば株式の評価が50%以上も下落した場合、評価損を計上しなければなりませんが、個人投資家は評価がどれほど下がろうと、実際に売買するまでその損失を計上する必要はないので、場合によっては税務上の自由度が高いというメリットとして生かすことも出来ます(もちろん単に損失の確定を先送りしたい、という「心の会計」の罠に囚われないということが前提ですが)。
サラリーマン含め個人は税務上、12月末を期末として申告することしかできませんが、私は初めて(持株会以外で)株を買ったのが2000年の8月初めだったので、私の中での自分自身の決算期末は7月末ということにしています。

もちろん決算期末といっても財務諸表を作成したりする訳ではないのですが、それでも1年間の損益と資産の増減についてはチェックします。そしてこの1年に関して言うと損益(実現利益)はプラスを確保しているものの、純資産の増減でいえば大幅なマイナスになっています。

長期投資をしているとこういう状況は珍しくないのですが、それにしても今回は純資産の落ち込み幅が大きく、ポートフォリオに占める特定業種の割合が大きくなり過ぎていた副作用がもろに出てしまったという感じです。

純資産の規模でいうとほぼ2年前のレベルに戻ってしまった状況ではありますが、12年間の株式投資生活の中では、もっと厳しい状況が何度かありましたし、相変わらず資産のほぼ100%を株式で運用する「フルインベストメント」状態を続けることに不安はありません。

そうは言っても結果が悪い時には、自分の考え方・やり方が根本的に間違っていないかというチェックは必要なので、今度の夏休みには自分自身の投資についてきっちりとオーバーホールをして、新たな決算期に向けて準備したいと思います。
ザ・シフト/ダイヤモンド社/ウエイン・W・ダイアー」・・・この人は別の本を読んだ事があったので、この本も以前から気にはなっていたのですが、なんとなく手に取らずにいました。ところが先日…私の46歳になる誕生日の前日、本屋でなぜか目に付いたので購入して、その日のうちに読み終えました。

内容的には、予想通りという感じではあるのですが、この中で書かれているカール・ユングの言葉「まったくなんの準備もなく、私たちは人生の午後に向かって踏み出すのだ。...朝、重要だったことは夕方には役に立たず、朝には真実だったことが夕方には偽りになる。」の一節がとても心に響きます。

この人生の午前と午後という表現は、この本のタイトルであるシフトとまさに一致するフレーズですし、私が好きな、アーノルド・パテントの人生の第1章と第2章や、ロバート・シャインフェルドの第1段階と第2段階の考え方に通じるものがあります。

ユングも含めてここに挙げた人たちは皆、西洋人ではありますがいわゆる西洋的な決定論や因果律ではなく、より東洋的な(あるいは量子論的な)非決定論やシンクロニシティ的な考え方を重要視するタイプに分類できます。

もちろん各人が考えている事の具体的な内容はかなり異なるのですが、人生を2つのステージに分け(もちろん単純に時間的に2つに分ける訳ではなく)、後半のステージにおいては、現代人の多くが暗黙のうちに信じている価値観とは異なる価値観・精神世界への転換を唱えている、という意味では、私にはこれらはみな同一のパラダイムのように思えます。

人間としてあるいは社会人として、おそらく折り返し地点を過ぎたであろう自分が、今、より強く彼らの思想に惹きつけられること自体、ひとつのシンクロニシティであると考えていますし、この先自分にとっての第2章・第2段階へのシフトを見逃さないように、受入れる準備だけは整えておきたいと思います。

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