「いつもあなたとショパン」と題された、ショパンのみのプログラム。
ノクターン13、14番
幻想曲
英雄ポロネーズ
マズルカ
ワルツ6,7番
バラード3、4番
アンコールに遺作のマズルカ。
ショパンの人生の晩年に向けての主要な作品、とのこと。
今日の楽器はホールピアノのYAMAHA CFⅢ。
今日は何故YAMAHA?
このブログの記録では、2年前はスタインウェイだった。
さらに私の印象は「スタインウェイは少し強すぎるイメージ」とある。
そんな意味では興味深い。
ノクターンの開始から、一音一音、噛み締めるような演奏。
仲道さんの演奏としては、おとなしめ、な感じ。
音色の煌めきや響きを聴く、というよりじっくり味わうような音楽。
今の不安な毎日を反映した演奏、仲道さんの「今」の演奏であろうか。
途中、ピアノについて、
「このコロナ下の影響で、しばらく使われていなかった楽器を、起こしながら、対話しながら、弾いている」
というお話もあったので、その影響もあるのかもしれない。
こういう微妙な違いを聴けるのも演奏会の一つの醍醐味。
最後のバラード二曲は堂々たる演奏。
また、ショパンについて、作曲技法の充実とショパンの人生の充実は必ずしも一致していない、といったお話も。
だれしもそういった側面があることを改めて思う。
演奏家でもアスリートでも、年々技術的には進歩していくのに反して体力が低下するのは避けられない。
それに個々人のその時の生活・精神の円熟、そして今のような社会情勢も反映される。
ショパンの時代であれば、祖国に帰りたくても帰れない、という外的要因も。
20世紀半ばであれば、政治的に様々な迫害を受ける演奏家も多数。
我々サラリーマンだって、似たようなことがないわけではない。判断力や経験を通した知識は蓄積できるが反面、記憶力や体力、特に集中力を継続させる体力のようなものは失われていく。
話が逸れた。閑話休題。
ショパンの幻想曲、この曲を「幻想曲」として聴いて来なかった自分に最近気づく。
曲名を「符号」としてしか見ていなかった、ということ。
そういう意味では色々、考えが深まる反面、??を感じる曲名、特に日本語名のタイトルはいくつもある。
例えば、ショパンで言えば「子守歌」。
意味合いは違うかもしれないが、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」もそうかもしれない。
シューマンのクライスレリアーナ、もある意味そんな側面がある。
最後に、エルガーは弾けない、というお話と今回終わるショパンに代わって来年からベートーヴェンのシリーズを始めるとの告知。そしてその来年の演奏会ではエルガーを弾きたいという、力強い仲道さんの言葉に、様々なこと、ようやく見えてきた明るい兆しを根底にした仲道さんの希望や決意のようなものなどを感じる。
また楽しみと共に、京都までの算段を考えねば・・・・・。