シリーズ・ベヒシュタインの響き 仲道郁代ピアノコンサート

正直最後の最後、前日まで行くかどうか?迷っていた。
この状況下、遠距離の移動、駅からのアクセスもあまりよくない。行かない理由には事欠かない状態。でも、やはり前日の夕刻になって決断。


ベヒシュタインでの演奏を聴ける機会はそうあるものではない。
今年の夏から、数多く聴いたベートーヴェンの様々なCD、特に古い録音の数々。
これらを聴いて自分の中では、ベヒシュタインと言うピアノが大きくクローズアップされてきた。

それはある意味、ベートーヴェンを聴く楽器としてのベヒシュタインの重要性、1つの方向性としてはこれが今、ベートーヴェンを聴く一つの最良の手段ではないかと。
また古い録音を聴いている時に感じる独特の感覚は明記されていなくてもベヒシュタインによるのではないかと思える節も。その一例はシュナーベルであろう。
そう思いながら聴いているとCDで使用楽器を明記されているものは非常に少ない。
特に古い録音は様々な楽器が使われていたと思われるので、この点は資料としても、今のうちにしっかりと残しておくべきではなかろうか?

脱線しました。
ベヒシュタインは仲道さんもおっしゃっているが、「フォルテピアノのイメージを残した現代の楽器に近いピアノ」とでも言うのだろうか。
あまりこういう引用は誤解を生むかもしれないが、シフはベヒシュタインで弾いたディアベッリ変奏曲のCDブックレットで、スタインウェイで弾くベートーヴェン、ピアノソナタにかなり否定的である。
かといって、現代のコンサートホールで、フォルテピアノの魅力を存分に引き出すのも、困難であろう。
そういった中で今回のような小ホールで聴く、古いベヒシュタインの響き、これには非常に興味がある。
ネットで検索するとベヒシュタインも、他にないわけではない。
例えば昨年、仲道さんも演奏された一橋大学の兼松講堂に、かつてあったベヒシュタインは如水会館にあるようだ。
ただ、しっかりと管理された状態で、音楽を聴ける良い条件が整った場所、での演奏会、となるとそう簡単ではないかもしれない。この機会を逃すと・・・。
まあ、そんな言い訳、こじ付けをして、聴きに行くことを決断した。


といっても、それほど感染症を恐れたわけではない。
新幹線がそれほど込んでいるとも思えなく、リスクと言う意味では通勤のほうがよほど高いと思われる。
とはいっても、今は自分が感染していないと言う自身を持てる状況ではなく、万一自分が感染していたときに、このような移動を申告しなければならないのも嫌だな、と言う気持ち。

前置きばかり、長くなった。
当日、新幹線は予測どおり、非常に空いている。
そして早めに加古川に到着、であるが、どうするか?
駅から、バスで行くには1時間程度待つ必要がある。
それではと言うことで、最寄り駅である宝殿から歩くことに。
約40分ほど、途中道筋に、半信半疑ながら、迷うことなく、ホールに到着。
こじんまりとした郊外の公園の中にあるおしゃれなホール。
ホール内部も非常に美しく、落ち着いた雰囲気。

曲目はベートーヴェンのピアノソナタ8、9、14、16、24番。
当初予定の演奏順から開演前に変更、そして、後半開始前に再度変更。
やはり慣れないピアノ、と言うこともあってか、試行錯誤、工夫を凝らしての演奏会。

初めて聴いたベヒシュタインの音色、想像した音であったり、想像とは違った部分もあったり、そして何よりも、予測どおり、美音で素晴らしい音楽。
細かなことは表現のしようもないが、本当に聴けて良かった。

アンコール。
ベヒシュタインで聴ければと思っていたドビュッシー。
月の光。
ドビュッシーはベヒシュタインのピアノで演奏することを前提に曲を書いたと言うようにも言われている位である。そんなベヒシュタインで聴くドビュッシーも至福のひと時。

演奏会終了後、今度は余韻を楽しみながら加古川駅まで徒歩、約1時間。