[はじめに]
これまで5回に渡り、縄文人の由来から言語、文化などについての、お話をしてきました。
そして前回は、「縄文人の神様」について、お話をしました。
今回は、神様に関連して、私が実際に経験した事をもとに、神様について、少し考えてみたいと思います。
「縄文人の神」のメインテーマから、少し話が離れてしまいますが、神様に対する考え方の、大事なポイントになると思います。
以下、私が神様の存在について考えるきっかけになった、2つの出来事に関してお話しします。
[棒で押して治療する「経穴治療」]
私は、東洋医学系の治療師で、一風変わった治療法で治療を行っています。
基本的には鍼治療のようなものなのですが、鍼治療とは少し、やり方が異なります。
鍼治療は「経穴」(いわゆるツボ)に鍼を刺して治療するわけですが、鍼の代わりに「経穴」を棒で押して治療する「経穴治療」が私の治療法です。
この、棒で押す「経穴治療」で、最も一般的な治療例としては、腰痛や五十肩の痛みを取り除いたり、和らげたりする治療になります。
また、この「経穴治療」は、内臓疾患や打撲、肉離れ、火傷などの治療に使用することもできます。
例えば、打撲や肉離れなどの筋肉の損傷は、通常の場合、完全な治癒までに2ヶ月程度かかりますが、この「経穴治療」を、週に1~2回実施すると、1ヶ月以内には完治します。
毎日治療すれば、より早く治癒します。
治療は、打撲や肉離れなどの損傷した箇所に繋がる「経穴」(ツボ)を、棒で押す事で治療します。
該当する「経穴」は、打撲や肉離れした場所とは異なる箇所になります。
基本的に患部を押すようなことはありません。
火傷をした箇所を、この「経穴治療」すると、一回目の治療後直ぐに、火傷の痛みが「すーっ」と退いていきます。
また、打撲などしてアザになった箇所に、この「経穴治療」をすると、直ぐにあざの色が薄くなり始めます。
半日もたてば、アザが薄くなっている事が解ります。
アザは、程度がそれ程ひどく無いものでも、通常の場合、一ヶ月程度は痕が残こることが多いのですが、この「経穴治療」をすると、程度の軽いアザであれば、およそ1~2週間できれいになります。
病院での通常の治療、例えば捻挫などの治療は、ほとんどの場合、患部を固定するなどして、自然に治癒するのを待つだけです。
ところが、この棒で押す「経穴治療」をすれば、積極的に損傷箇所の治癒を早めることが出来ます。
また、捻挫や打撲などが、完全に治りきらず、何ヶ月経っても、痛みが残っているような症例でも、この「経穴治療」をすると、ほとんどの場合、直ぐに痛みなどの症状が無くなり、完治します。
この「経穴治療」は、いわゆる古傷を治すのは、得意中の得意です。
棒で押す「経穴治療」は、全身のいかなる場所でも、ほぼ治療対象とすることが出来る上、効果も顕著に表れることが多いのです。
ただ、この「経穴治療」は、非常に効果が期待できる疾患や損傷と、そうで無いものがあります。
経験を積めば、ほとんどの症例について、治療効果が期待できるか否かを判断をすることが出来るようになります。
とはいうものの、治療者である私でも、患部とは全く異なる場所を押す「経穴治療」で、何故、外傷や臓器の不調などが、顕著に改善するのか、明確な理由を説明することは出来ません。
不思議な治療法としか、言うほかはありません。
[コウ先生]
そのような、不思議な「経穴治療」の創始者である、台湾人のコウ先生のクリニックで、私は働きながら、棒で押す「経穴治療」を勉強させたもらっていた時期があります。
コウ先生は日本の医大を卒業し、医師の資格を取得して、棒で押す「経穴治療」を、自身の経営する東京のクリニックで、自由診療で治療を行っていました。
コウ先生は、時折、雑談的に「経穴治療」について、いろいろと話をしてくれることがありました。
ある時、「経穴治療」の体系的な「経穴」(ツボ)を、突然思いついた時のことを、話してくれたことがあり、それが私には、とても印象に残っています。
コウ先生から聞いたことを以下に簡単にまとめます。
[鍼治療の経穴についての前提知識]
・鍼治療は体系的に整理されていない。
・一般的に知られている治療の「経穴」は、あくまで、過去の経験の寄せ集めに過ぎず、治療のために、対応する一般的な「経穴」に鍼を刺しても、効果のあることは少ない。
「経穴」(ツボ)は、以下の図にあるように名称がつけられており、「経絡(けいらく)」という、身体にある目に見えないライン上に多数存在します。
「経穴」は、600箇所以上あるとされています。
[コウ先生の探求]
コウ先生は、効果的で体系的な鍼治療について学ぶために、何人もの鍼治療の大家とされる先生に教えを請うたそうです。
例えば、胃腸の鍼治療に精通した先生の所に行った時に、一回の治療に、何十本もの鍼を刺すのを見たそうです。
そこで、コウ先生は、何十本もの鍼を刺した、それぞれの箇所の治療の意味を尋ねました。
返事は、「一本一本の鍼の意味は考えなくて良い、そこに刺せば良い」と言うようなことでした。
また、その先生に、胃腸の治療以外の、いわゆる専門外の鍼治療について尋ねると、その返答は、一般的な鍼治療の知識程度のように、コウ先生は感じたそうです。
次に、例えば神経痛の鍼治療に精通した先生の所に行った時にも、同様に一回の治療に、多数の鍼を刺して治療しており、やはり、一本一本の鍼治療の意味について知っているようでは無かったそうです。
そして同様に、専門外の治療に関する知識も、一般的な鍼治療の知識レベルのように感じたそうです。
このようなことを繰り返すうちに、コウ先生は、「結局、鍼治療は個々の経験や、先人から教えてもらった断片的な知識が、個々の治療家にあるだけで、体系的、統合的な鍼治療の知識を持っている人はいないのではないか。」と考えるようになったそうです。
コウ先生は、鍼治療の専門書を、手当たり次第に調べてみても、やはり過去からの経験で得られたような、一般的な鍼治療を羅列したようなものばかりだった、と思ったということです。
専門書の中には、個別の専門的な治療情報を集めてきたような、良く出来た書物もあったそうですが、そういった書物でも、やはり鍼治療全体を通して体系的にまとめられたものでは無く、断片的な知識を集めてきた内容と感じたそうです。
[コウ先生のひらめき]
コウ先生は、体系的な鍼治療について、調べる日々が続き、毎日、書物で調べたり、専門の先生の意見を聞くなどしていたそうです。
そんなある日、夜遅くまで書物で調べ物をしていたところ、つい「うとうと」としてしまいました。
その時、突然、全身の治療箇所に対応する、経穴の場所が、頭に浮かんできたそうです。
直ぐに、コウ先生は、どの治療箇所に対応した経穴はどこ、という対応一覧を慌てて書き留めたそうです。
このようにして、全身の治療箇所に対応する、体系的な経穴が完成したということです。
この話を聞いた時、私は、世の中には、なかなか科学的に説明ができないような、不思議なことも起こるものだな、と感じた程度でしたが、妙に心に残りました。
別の機会に、コウ先生に、私が「なぜ、この治療法は、患部とは全く関係ないところを押すだけで、こんなにも効果があるのですか?」と聞いた時に、コウ先生からの「さあ、それは神様だけが知っていることだね」という返答が、とても印象的で、良く憶えいています。
[香取様]
「香取神宮」は、千葉県の銚子市から西北西30㎞ほどのところにあります。
利根川を挟んで千葉県側に「香取神宮」が在り、茨城県側に「鹿島神宮」があります。
そして、千葉県には、多くの「香取神社」があり、その多くが利根川流域の千葉県側に在ります。
一方の茨城県には、やはり多くの「鹿島神社」があり、その多くが利根川流域の茨城県側に多く在ります。
私が現在住んでいる所は千葉県で、利根川に近いところです。
やはり、すぐ近くに「香取神社」があります。
「香取神社」は、「香取神宮」から分社されたもので、いわゆる、「香取神宮」の出張所のようなものです。
私の自宅近くにある「香取神社」は、大変古い時代からあるそうで、室町時代(1336~1573年)より前から在ったことだけは解っています。
室町時代の石版があることで、そのことが解るそうです。
この「香取神社」は、少し小高い場所にあり、そこから下がった低地に、代々この「香取神社」を守ってきたS家の家があります。
神社を守る主な氏子が、神社の直ぐ近くの、神社より低い場所に住むことは、良くあることです。
[目の病気を治す]
ある時、このS家の千鶴子(仮称)さんから、電話がかかってきて「黄斑円孔(おうはんえんこう)という目の病気を治してほしいので、治療をお願いします。」と言われました。
私は、「黄斑円孔が、どのような病気か知らないし、しかも目の病気は専門外で、私には治せない」と断りました。
ところが千鶴子さんは、「そんなはずは無い、先生なら必ず治せるはずだから、是非治療してほしい」と食い下がります。
千鶴子さんは、過去に腰痛の治療をしたことがあり、その時に「経穴治療」をしたことが一回ありましたが、何故、このように治療を強く要望されるのか、私には、よく解りませんでした。
黄斑円孔と言う病気を調べてみると、棒で押す「経穴治療」で治せそうではあるものの、病院で手術すれば治るものである事も解りました。
また、症状が進行してしまった場合、黄斑円孔の発生した左目は、完全に失明してしまう可能性もあるので、千鶴子さんには病院での手術を勧めました。
しかしながら、結局、私の方が、千鶴子さんに説得されることとなり、黄斑円孔の治療をすることとなりました。
治療開始時には、左目の視界の中央部分が黒い円になって見える状態で、その周囲は歪んで見えていました。
夜に満月を左目だけで見ると、ちょうど月が全く見えなくなる範囲が黒い円となっていたと言うことです。
医者には、この程度に症状が進んでいる場合、手術後10~14日程度は、寝るときは「うつ伏せ」、通常時も常に目が下を向いている状態にしなければならず、しかも、結果的に症状が改善するかどうかは不明。
また、症状が改善したとしても、100%視力が回復するのは難しい、と言われたようでした。
試みに、棒で押す「経穴治療」をしてみると、一回目の治療をしている最中から、症状の改善が見られたので、二回目以降も継続して治療する事となりました。
週に一回の治療で、治療するごとに症状が改善して行くものの、治療が完了するまでに、1年近くかかりました。
結果的に、左目の視界の歪みも無くなり、視力は完全に回復しました。
治療期間は長くなりましたが、千鶴子さんには、満足していただけました。
[千鶴子さんの話]
目の治療を始めてから暫くして、千鶴子さんから、千鶴子さんのお祖母さんにまつわる、意外な話を聞きました。
以下、その内容です。
千鶴子さんの、実のお祖母さんは既に亡くなられているが、今から50年以上前ころまで、灸の治療を多くの人に無料で行なっていました。
その灸の治療が、非常に良く効くとの評判が高く、遠方から治療を受けに来る人も多かったということです。
なにしろ普通では、到底、灸の治療で治せないと思えるような病気も、不思議なまでに的確にツボに灸をすえることで、ピタリと病気を治してしまったそうです。
私は、千鶴子さんからこのような話を聞く以前から、昔のことを覚えておられる年配の方から、同様の話しを聞いていました。
ですから、ここまでの話は、特に意外なものではありませんでした。
また、補足説明としまして、
灸治療は、鍼治療、棒で押す「経穴治療」と同じような効果が期待できる、ほぼ同類の治療と言えます。
要は、棒で押す、鍼を打つ、灸を据える、のいずれでも、経穴に何らかの刺激を加えることで、患部に対する治療を行うわけです。
話を戻します。
千鶴子さんのお祖母さんの治療は、そのように素晴らしい治療であったので、治療を受ける人ばかりでなく、鍼灸師の人達も、勉強のために見学に来ていたそうてです。
千鶴子さんが子供だった当時は、家にはいつも人が大勢いました。
ここからが本題です。
千鶴子さんは、お祖母さんから何回か、次のような話を聞かされていたということです。
・「香取様」が、お祖母さんの夢の中に出てきて、灸の治療を教えてくれることがあった。
・夢の中に出てくるのは、普通では灸を据えるべき場所が解らないような、難しい治療の患者さんが来る、必ず3日前からだった。
・夢を見た翌朝起きると、灸を据えるべき場所の、お祖母さんの体の部分が痛み、それが3日間続く。
・当日になって、その難しい治療の患者さんが目の前に来ると、再び治療すべき場所が急に痛み出す。
・そして患者さんのその場所に灸をすえると同時に、すーっとお祖母さんにあった痛みが消えていく。
・ さらに、お祖母さんの言うことには、「夢に出てくる「香取様」は、それはそれは綺麗な女神様なの」とのことだった。
最初、この話を聞いたときはびっくりしました。
神様が灸の治療を教えてくれるために、夢に出てきたりするのだろうか、と。
しかし、千鶴子さんは嘘を言うような人でも無いし、嘘を言う理由もありませんでしたので、私は、千鶴子さんの話しは全て本当のことだと思いました。
千鶴子さんの話しは、もう少し続きます。
千鶴子さんの目の治療は、8ヶ所を棒で押す治療をしたのですが、その中でも、最も大事な治療箇所を最初に押しました。
それが、右手中指の第1関節と第2関節の間、下図赤矢印の部分です。
実は、初回の目の治療の日の朝、千鶴子さんが目を覚ました時、右手の中指の全く同じ部分が痛かったそうです。
千鶴子さんのお祖母さんが「香取様」から治療法を教わったときと、全く同じ事が千鶴子さんにも起こっていたようでした。
そのため、千鶴子さんは、私が初回治療をしたときに、私の治療が確かなものと確信したということです。
[結論]
[香取様は女神様]
千鶴子さんのお祖母さんが言われたことで、この当時の私が、非常に気になったのは、「香取様は女神様」という言葉でした。
と言うのも、「香取神宮」の御祭神は「男神」で、戦いの神様だったからです。
千鶴子さんのお祖母さんの夢に出てきた女神様が、「香取神宮」の御祭神では無いと考えるとなると、話がややこしくなり、どうにも釈然としませんでした。
実は、この頃、私は「香取神宮と鹿島神宮の謎」の様なものを調べていました。
香取神宮と鹿島神宮は、西暦720年頃から神宮となっています。
西暦720年まで、神宮は「出雲大神宮」、「石上(いそのかみ)神宮」、「伊勢神宮」の3社だけでした。
西暦720年から、神宮は「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」の3社となり、明治維新の頃まで神宮はこの3社だけでした。
西暦720年までの3神宮にも謎があるのですが、その話は次回にしたいと思います。
西暦720年からの3神宮が、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」と言う点に私は強く謎を感じていました。
西暦720年は、奈良時代が始まったばかりの頃です。
その頃は、主に奈良を本拠地とする大和朝廷と藤原氏の権力が強まり、現在の東北地方への侵略を本格的に開始した頃です。
大和朝廷の本拠地の奈良からすれば、辺境の地とも言える現在の千葉県と茨城県に、3社しかない神宮のうち、2社の神宮を設けたのは不思議だと思っていました。
千鶴子さんから「香取様は女神様」と言う言葉を聞いた当時は、このような「香取神宮と鹿島神宮の謎」を調べていました。
そして、ひょっとすると、「香取神宮」の神様は、本当は女神様だったのかも知れないと考えるようになった私は、そのことについて調べてみました。
その結果、解ったことは以下の通りでした。
・西暦720年まで「香取神宮」と「鹿島神宮」は神社の格で、物部氏の管轄であった
・西暦720年まで「香取神宮(神社)」は、女性の神官が祭祀を担当していた
・女性の神官が祭祀を担当していたことから、「香取神宮」には、以前は女神が祭られていたものと推測されている
以上の事から、私は「香取神宮」の本当の神様は、女神であるに違いないと考えるようになりました。
また、日本書紀の記述から推測して、「香取神宮」の女神様は、イザナミの神であると結論しました。
「香取様は女神様」ということが本当であったことが解り、私は、千鶴子さんから聞いた話が、すんなりと腑に落ちるようになりました。
それと同時に、今まで経験してきた、不思議に思えるような体験のいくつかが、関連性を持って繋がり、真実が見えてきたように感じました。
[神様の実在]
一般的に、「香取神宮」の御祭神は、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)という男神とされています。
千鶴子さんのお祖母さんが「香取神宮」の本来の神様が女神であることを、最初から知っていたとは思えません。
夢に出てきた神様が女神様で、神様自身が「香取神宮」の神であることを名乗って、灸治療について教えてくれたからこそ、「香取神宮」の神様が女神であることを知る事が出来たのだと思います。
千鶴子さんのお祖母さんは、鍼灸師の資格を持っていなかったそうです。
それにも関わらず、的確な治療で、治療の難しい病の人も含めて、数多くの人の病を治していました。
千鶴子さんのお祖母さんの治療を勉強するために、鍼灸師の資格をもった人が毎日、何人も来ていたと言うことです。
しかも、千鶴子さんのお祖母さんが、香取様から治療法を教えてもらって、患者さんに灸を据えるまでに起こる一連のイベントが、非常に整合性が取れていて、細かい点まで矛盾がありません。
以上の点から考えて、本当に神様から灸治療を教えてもらっていたとしか、考えようが無いと思います。
また、鍼灸治療などの経穴治療は、治療対象の場所と全く異なる身体の部位に、鍼灸などの刺激を与えることで、どうして、患部の治療が出来るのか、全く解っていません。
それが解るのは、今のところ、コウ先生の言われたように、神様だけなのかも知れません。
そのように考えていくと、神様は実際に存在する、という結論になるかと思います。
[コウ先生の「経穴治療」との関連性]
昔、千鶴子さんのお祖母さんが、多くの人を治療していた時の「治療経穴」は、私が、コウ先生から教わった「治療経穴」と一致する部分が多かったのでは無いかと思います。
少なくとも、私が千鶴子さんに行った目の治療のときの「治療経穴」と、香取様が千鶴子さんに教えてくださったと思われる「治療経穴」は、一致していました。
その様に考えると、コウ先生が夜遅くまで「経穴治療」の調べものをしていて、つい「うとうと」した時に、突然、全身の治療箇所に対応する、経穴の場所が、頭に浮かんできたのは、やはり、神様がそっと教えてくれたのでは無いか、と思えてきます。
[千鶴子さんの家は女系家族]
最後に触れておきたいことがあります。
それは、千鶴子さんの家が、女系家族の傾向があるということです。
千鶴子さん、千鶴子さんのお母さん、千鶴子さんのお祖母さんは、皆、「香取神社」の直ぐ下にあるS家の生まれです。
千鶴子さんのお祖母さんの場合は、上にお兄さんがいたのですが、お兄さんの方が家を出て、近くに家を建てて移り住んだと言うことです。
千鶴子さんのお祖母さんより以前のことは存じ上げないのですが、3代続いて女性が家を継いでおり、現在も千鶴子さんの家には、千鶴子さんの実の娘さんがいます。
「縄文人の文化」でもお話しましたように、縄文人は女系家族でした。
その縄文人が崇拝した西日本の大地の神様がイザナミの神でした。
イザナミの神は、本来であれば、「香取神宮」の御祭神であるはずです。
昔は女性が神官を務めていた「香取神宮」から分社して、ご先祖様が現在の地に「香取神社」を建ててから、ずっと「香取神社」を守ってきたのがS家の一族です。
そのS家の一族が、女系家族の傾向があるということは、私には、単なる偶然とは思えません。
[次回]
次回からは、縄文人の文化や神様観などが、どのような経緯を経て現在に伝わってきたかなどについて、お話していきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。