カトネの小部屋 -4ページ目

カトネの小部屋

福岡在住。日々の徒然を書き留めます。

エントリが前後しましたが、岸政彦さんの『断片的なものの社会学』に触発されてブログを再開しました。「触発され」たのは、記述の中に「5年も更新されていない、浜辺で朽ち果てた流木のようなブログ」という表現があって、そういえば私もむかしブログやっていたのよね…と思い出した次第です。

ブログの最終エントリが2011年3月20日。その頃私は夫、子ども二人と共に東京に住んでおり、福島第一原子力発電所の事故による放射能の被害を恐れて九州の夫の実家に一時避難をしておりました。それから4年半が経過しています。住まいは東京から福岡になり、未就学児だった子どもたちはそれぞれ小学生になり…と変化しました。ただ、私も勤務先が変わったものの仕事を持つ母親であることには変わりなく、相変わらず毎日バタバタと暮らしています。

ちょっとびっくりしたのは、2011年の2月にとあるジャパニーズ・ロッカーの方について書いていたこと。その方のファンだったのは10代の頃で、今はほとんど聞いてませんが当時はPC作業中にyoutube経由で聞いていたのです。それで、機会があればライブに行きたい、と締めくくっていました。それから1か月後に東日本大震災があって、その方がチャリティの一環として急きょかつてのヒットソングを歌うライブを企画され、なんと私、「ライブに行きたい」と書いた半年後に行っていたのです。人生、何が起こるかわからないですね…

当ブログを書いていたのは、第2子がまだ未就園児だった頃で、卒乳だとかそういうことも書き込まれていて自分としては懐かしい、というより忘れていたよ!という感じです。過去の自分は他人。そう、私は自分のブログによって、少し前の自分と対面したのでした。そして、こういう自分も忘れていることもあるから、たとえ拙い内容であれきちんとした場所に何かを書き残すことって自分にとっても大切なのだなと思った次第です。

ブログを中断していたのは、震災以降はtwitterが、そしてfacebookにシフトして日々の徒然を綴っていたからです。もちろん、そこに行けばログを確認することはできるのですが。だけど最近は、twitterにしてもFBにしても、匿名でないゆえの閉塞性(読者に配慮して思うことが書けない)も感じておりました。いま、「特定の読者がいない」という状態の身軽さを噛みしめております(笑)

打ち捨てられていた流木、とりあえず拾ってみましたがどうなることやら。また色々と書いてみたいと思います。
岸政彦さんが今年5月に出版された『断片的なものの社会学』。購入して、時々ページをめくってはそれこそ断片的に読んでいたものの、このたび出張帰りの飛行機の中で最初から通してまとめて読む機会を得た。

私も仕事で人に対して「聞き取り」なるものをすることがあり、そうした自分の経験を重ねあわせながら、納得するところが多かった。

詩人のぱくきょんみさんと造形作家の岡崎乾二郎さんに『れろれろくん』という絵本がある。今日のれろれろくんと明日のれろれれくんがいる。一秒前のれろれろくんと一秒後のれろれろくん。私たちが一人と思っている誰か(そしてもちろん自分自身)は、実は固定された一つのものではなく常に動いており同一ではない。

そんなれろれろくんに対し、「よっちゃん」という女の子がいる。よっちゃんも一人ではなく、たくさんのよっちゃんがいる。そして、あるとき、れろれろくんとよっちゃんは「出会う」。

いち たす いちは ふたり
ここ たす ここは であう

いま、手元に本が無いのだが、当時1歳くらいだった子どもに催促されてこの本は何度も読んだのでこのフレーズはよく覚えている。れろれろくんとよっちゃんの軌跡的な出会い。たくさんいて一つではない私たち。当時、初めての育児に疲労困憊し、子どもに優しくできない私はこの本にとても救われた。子どもに優しくなかった私も私の一部であり、別の私が立ち直ればよいのだと思って。

さて、岸さんの本に戻るが、たくさんいる「れろれろくん」のごく一部にしか私たちが出会えないと同じように私たちは他者のごく一部としか接触できない。袖振り合うも多生の縁、というが袖が触れあって終わり、な相手が圧倒的多数であろう。そうした相手と、人生のある時間を重ね合うことの貴重さ。

また、「インタビュー調査」にからめていうのなら、協力者は膨大な人生の中のほんの一部分を提供しているにすぎない。そのことで相手の人生のすべてをわかったように結果を処理してしまうことの危険性。そうしたことも岸さんは示唆されているのではないか。

それにしても、『断片的なものの社会学』は何度も読みたくなる本である。人の世界のもろさと優しさ、哀しみとおかしさを味わえる稀有な「社会学」の本。

(そして、本書にインスパイアされてブログを再開しました。)

断片的なものの社会学/岸 政彦

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11日の地震以降、二男のアトピーが悪化しました。幸いにも仕事が休みに入ったため、現在九州に帰省しています。

今日は静かな雨降りの日曜、私は実家で久々にお昼寝しました。11日以降で一番深く眠ったかも。

故郷の九州、自然が美しいこと食べ物が美味しいこと、人々が親切なことはこれまでもそうですが、今回はそれに「安心安全」がつけ加わりました。

関東にいると地震からくる揺れの気持ち悪さとともに、流通とかインフラとかのシステムに対する大きな不安があり…これまで信じていて心も体も委ねていた大きな拠り所を失う感じ、ですかね。保護者が行方不明になった子どものような気持ちです。

もっとも、もちろん私は恵まれているわけで…こうして子どもとともに九州に行けるわけですし…清潔で快適な環境、三度の食事に事欠くこともなく。何かを失った訳ではありません。

でも、恵まれていた私がこんなに喪失感を覚えるのですから。首都圏、関東以北の全体を考えるとみんなボロボロなんだろうと思います。まだ気が張っているけどそのうちみんな鬱とかPTSDになるかも。

これまでは九州というのはどうしても東京に対して「サブ」的な位置だったけど、「メイン」が機能不全になったいま、「サブ」が俄然輝きだす気がします。西日本の皆さんには、日本の復興のためにガンガン動いていただきたいと思います。私も自分ができることを少しずつ開始したいと。とりあえずは募金かな。

一日も早く、一人でも多くの方の心に平安が訪れますように。

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