『断片的なものの社会学』 と 『れろれろくん』 | カトネの小部屋

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福岡在住。日々の徒然を書き留めます。

岸政彦さんが今年5月に出版された『断片的なものの社会学』。購入して、時々ページをめくってはそれこそ断片的に読んでいたものの、このたび出張帰りの飛行機の中で最初から通してまとめて読む機会を得た。

私も仕事で人に対して「聞き取り」なるものをすることがあり、そうした自分の経験を重ねあわせながら、納得するところが多かった。

詩人のぱくきょんみさんと造形作家の岡崎乾二郎さんに『れろれろくん』という絵本がある。今日のれろれろくんと明日のれろれれくんがいる。一秒前のれろれろくんと一秒後のれろれろくん。私たちが一人と思っている誰か(そしてもちろん自分自身)は、実は固定された一つのものではなく常に動いており同一ではない。

そんなれろれろくんに対し、「よっちゃん」という女の子がいる。よっちゃんも一人ではなく、たくさんのよっちゃんがいる。そして、あるとき、れろれろくんとよっちゃんは「出会う」。

いち たす いちは ふたり
ここ たす ここは であう

いま、手元に本が無いのだが、当時1歳くらいだった子どもに催促されてこの本は何度も読んだのでこのフレーズはよく覚えている。れろれろくんとよっちゃんの軌跡的な出会い。たくさんいて一つではない私たち。当時、初めての育児に疲労困憊し、子どもに優しくできない私はこの本にとても救われた。子どもに優しくなかった私も私の一部であり、別の私が立ち直ればよいのだと思って。

さて、岸さんの本に戻るが、たくさんいる「れろれろくん」のごく一部にしか私たちが出会えないと同じように私たちは他者のごく一部としか接触できない。袖振り合うも多生の縁、というが袖が触れあって終わり、な相手が圧倒的多数であろう。そうした相手と、人生のある時間を重ね合うことの貴重さ。

また、「インタビュー調査」にからめていうのなら、協力者は膨大な人生の中のほんの一部分を提供しているにすぎない。そのことで相手の人生のすべてをわかったように結果を処理してしまうことの危険性。そうしたことも岸さんは示唆されているのではないか。

それにしても、『断片的なものの社会学』は何度も読みたくなる本である。人の世界のもろさと優しさ、哀しみとおかしさを味わえる稀有な「社会学」の本。

(そして、本書にインスパイアされてブログを再開しました。)

断片的なものの社会学/岸 政彦

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