いつからか、
気がつけばコンタクトレンズをしていた。
視力が上がるわけでもなく、
瞳の色や大きさが変わるわけでもなく、
質量もなく、
物理的に”それ”は存在しないはずのものであるにも関わらずそこに存在していた。
可視範囲内の出来事は超高速で演算処理され、音や感情は数記号となり網膜に飛び込んでくる。
「それは幻想だ」
そう誰かに言ってもらいたかった。
そんな想いとは裏腹に、急ぎ足の針が鈍足針を追い抜く度にその願いは脆く崩れていく。
情報は色を持ち、
その色を元にファイリングされていく。
それらは広大な書庫に雑に積み上げられていく。
私は図書館。
私は本の貸出をしない。
だからと言って閲覧規制もしない。
入場資格を持つものは自由に書物を読むといい。
入場資格のないものは、私の存在にすら気が付かない。
私が図書館であり、図書館ではないからだ。
私は梟である。
私には止まる枝がたくさんある。
自由意思で止まる枝もあれば、そうでない枝もある。
止まる枝によって見える景色は違う。
共通点があるとすれば、それはどこからでも焚き火が見えるということである。
その周りには楽しげに踊る者もいれば、静かに酒を飲む者もいる。
その光景に楽しさや悲しさを感じることもあるが、終始無表情でそれを眺める。
私が梟だからである。
彼らは気が付かない。
遥か遠くの木々の隙間から目を凝らしている私に気が付くことなく彼らは炎を囲むのである。
私は眼科医だ。
私にはあなたのコンタクトレンズを外すことはできない。
理由は至極単純だ。
なぜならあなたはコンタクトレンズをしていないのだから。
「しかし先生、私には図書館も梟も見えるのです」
その問いに眼科医は答える。
「そうかい、私には君のレンズも図書館も梟も何も見えないがね」
”私”は思う。
見えなければよかったと。
”私”は願う。
同じようにコンタクトレンズを使用する者が現れることを。
”私”は嘆く。
これじゃまるで、マジックミラーな世界だと。
”私”の名前はーーである。
-補足-
べつに病んでませんよ、加藤直。
ちゃんと言っておかないと「大丈夫ですか?」「なにかあったんですか?」と言われかねないので。
今夜も元気にパンツ一丁です。
ちなみに、
視力はすこぶる良いので裸眼です、加藤直。
それでは皆さま、
よい嫁を。