「もし、就職決まらなかったら、島で働いてみるのもありだよ笑」



「暑そうだけど、興味はあるんだよなー」



そうたが大学入学したばかりの頃に交わしたLINEのやり取り


就職難とかブラック企業とか終身雇用崩壊とかパラレルキャリアとかそんな言葉をよく目にするようになった頃だったかな

何年か前の3月、島滞在の時に、ヤギの写真と一緒に冗談でそんな事を送ってみたら、意外にもちょっとだけ興味待ってくれて、少しテンション上がったおぼえが


「一回旅行で遊びに行ってみるといいよ、6月とか飛行機代も安いしおすすめ」


「その時期は学校があるからなー高い時期じゃなきゃ行けない」


というやり取りでこの話題は終わっている




だから今回、こっそり連れてきた




北海道だけの風習らしいんだけど、荼毘に付すときに一緒に10円玉を入れて、残ったものを拾い上げてお守りにする、というもの


紅型の小さな小銭入れに入れて我が家のそうたコーナーに鎮座させている


興味はあるんだよなーって言っていたから今回連れてきてみた

海の見える部屋だから、ちょっとは雰囲気味わえただろうか



明日3月11日は亡くなってちょうど半年

今日は少し振り返りを



緊急搬送されてから亡くなるまでが約4週間

そっか、4週間も頑張っていたのか

10日くらいに感じていたけど、

頭も心も混乱していて記憶とか感覚とかもおかしくなっていただろうしね


入院から約10日後のそうたの誕生日に、先生からお話があると別室に呼ばれ、大事な事をちゃんと書き留めなきゃと、メモとペンを用意していった


そこで脳死宣告を受けた

それまでも状況がかなり厳しいのは十分わかっていたけど、それは実質、死亡宣告と同じことだった

その時のことは以前のブログでも書いたのだけど、今後の方針などの説明を受けたはず


けど、頭も心も全てストップしてしまい、全く何も記すことができなかった




「2択、そ|    」





姉と実家に帰り、病院から出された「宿題」について家族で話し合う

その2択について


きちんと受けたはずの先生からの説明の記憶が半分以上曖昧で、なにをどう判断するのか、なんとなく答えは決まっていたけれど、でもしっかり理解して答えを出したい


幸いとても素晴らしい病院でわからないことがあれば何度でも説明します、とおっしゃってくれていたので、もう一度説明をお願いしようと、そして家族で聞きたい事をまとめておこうと、次のページにわりと整然と書いたメモ




すごく難しい問題なのに、聞きたいことは意外と少なかった


次の日か数日後か、すぐに対応してくださった

その時のメモ

メモが下手である笑

記憶と重ねるとなんとか解読できるレベル



点は点滴

呼は人工呼吸器


このページでメモは終わっている


そして宿題の答えを提出してから「数日〜数週間」の表現のままのタイミングで旅立った



先日、父が少し具合悪くてかかりつけの病院から、うちは専門外なのでこちらの病院で検査してもらってくださいと紹介されたのが、そうたが入院していたこの病院だった


家族全員いろんな思いで心がザワついたのだけど

当の父は「そうたが守ってくれる気がする」と言って検査を受けに行った

本人は即入院覚悟で行ったのだが、検査結果はシロで、すぐに家に帰された笑


まだ本調子ではないので検査を受けたりはしているけど、体調は上向きになりつつ快方に向かっているようだ

そうた、守ってくれているのかな


ありがとうね