家族を亡くして1ヶ月。
今はほぼいつも通りの仕事をこなしてほぼ以前と変わらない生活を送っている。
でも、心の中や頭の中は以前と全然違う。
お花を飾ったり、毎朝氷水をあげて、好きだった食べ物を見つけると買ってきて供える、という新しい習慣も生まれた。
今でもそうたの事を想うとすぐに涙が出てくる。
それでも、世の中は変わらず動いていき時は流れていく。
そういうものなのはわかってはいるけど、8月から時が止まっている感覚ゆえに、取り残されているような孤独感もある。
でも自分がどんなに辛くても自らその話を切り出すことはできないですし、自分が逆の立場でもそういう状況の人に声をかけようと思っても言葉が見つからないものである。
そっと温かく見守ってくれる優しさに感謝、そう思っています。
今日仕事現場で、25年来の友人とすれ違った。
幼少の頃のそうたの事、亡くなる前の数ヶ月間のことを知っている数少ない友人で、亡くなったすぐ後、忙しい中わざわざ時間作ってくれて話を聞いてくれた。
「あ、お疲れ様!」と笑顔であいさつ。
なんとなくすぐに目を逸らすことができなくて、でもなんか言葉が出てこなかった。
ちょっと微妙な間の後、友人から出てきた言葉は
「元気?」
だった。
「うん、元気だよ!・・・頑張ってるよ」
と返した。
それがすごく嬉しかった
混みいった話はできなくても
「気にかけているよ、大丈夫かい?」というのと「大丈夫なわけないじゃん!でも、心配してくれてありがとう、頑張るよ」
という心のやり取りができた気がした。
何も知らずに流れていく世の中も、知っていても変わらず動いてくれる環境も、一歩踏み込んで声かけてくれる友人も、全部ありがたい存在です。
でも今後、もし自分が逆の立場になった時には
元気じゃない事がわかっていたとしても、「元気?」って声をかけるかもしれないし、そういう声をかけられる人でありたいな、と思いました。