今日は市内某所、秘密基地その3にてピアノの練習。


ずーーーっとやりたい、と思いつつもなかなか出来なかった、ピアノの基礎練習。

ここ最近やっと始められた。

主にハノンとツェルニーなんだけど(笑)



家ではアップライトのサイレントで練習していて、今日は久々の全OFF。練習日ということで出かけてきた。

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練習を始めた頃は、「あ・・・やっぱりな😭」っとは思いましたが、ポンコツで、酷いもんでした。

2~3時間の練習を1日や2日やったくらいじゃ変わりません。


でも続けるうちにいろいろ変化も感じます。



子供の頃、エレクトーンのレッスンに通っていた一番の全盛期では1日6時間くらい、休みの日だと12時間くらいは平気で、練習もしくはそれに準ずる行為(譜面を書く、曲を聴く、音色を研究する)をずーっとやっていました。

尤も、ちゃんと効率良くやれていたわけではなかったのですが、あの頃のおかげで、練習するということは自分を追い詰めながらも限界ギリギリまでやるっ!っていう底力みたいなものは付いたと思います。

そんなに練習してたのに、今その程度??、というツッコミ、歓迎します(笑)

そんだけ練習したからこそ、まだこの程度までこれたんですよー(笑)

私の周りの素晴らしいミュージャン、ホントにgiftだなぁーと思うプレイヤーさんアーティストさんたくさんいます。
たとえば、素晴らしいギタリストさん、たぶんピアノを選んでいたとしても、もしくは今からでも本気でちょっとの期間練習したら、私より数段素晴らしく弾くんだろうなぁ、という才能溢れる方達。

たぶん、そういう人達に比べて、私は音楽的技術的才能、向き不向きで言えば、たぶん不向きです。

余談ですが、中3の時、進路相談の専門家だった担任に、「ハッキリ言って、なほちゃんは音楽家には向いていない」とバッサリ断言されました(笑)
けっこう好きな先生で、信頼していたので、そう言われた時は本当に真っ暗になりました。
(中3当時はエレクトーンプレイヤーになりたかったので)


だから、今でも音楽の壁に当たる度に瞬時に
「音楽家には向いていない」という言葉が湧き上がります。
トラウマ?とでも言うんですか?
なので、それがいつも引っ掛かって、逃げ出す口実としては十分なくらいのハードパンチだったと思います。



でも・・・・・・





なんだかんだ・・・





やめていない(笑)






これが、唯一のわたしの才能かもしれません。





しぶとい・・・・・・(笑)




2017年現在は「鍵盤弾き」というカテゴライズからは少し違う方向にいますが、音楽の中の自分の居場所や表現する手段を持てているのは、やっぱり「向いていない」と言われてもやり続けていた、【稽古】があってこそ、と思っています。

むしろ、わたしの練習量最盛期は「向いてない」烙印を押された中学を卒業し、高校に入学してからだったので、もはや「アホ」としか言いようがありません。

「悔しい」とかそんなことは思っていなかったと思います。
たぶんアホなので「そんなはずはない」と思っていたと思います。


先日、スタッフの方と、最近の子供の習い事事情について熱く語ったのですが、
私が子供の頃に比べて、たくさんの習い事やエンターテインメントも増えているせいもあって、「家で稽古する」という習慣が薄れていると思う、というお話をさせてもらいました。

私は小6までは、バレエ(週3回)エレクトーン(週1回)習字(週1回)と週5で習い事の忙しい子供だったのですが、バレエと習字に関しては、お稽古場での練習がメイン、エレクトーンに関してはレッスン以外の週6日は家で練習しなければならない、というのが、約束事というか、レッスンに通うにあたり、当たり前の事として、しつけされていました。

しかしながら、小学生のころはそのルールがよく破られ、何度も親に脅しで辞めさせられそうになりました。

親は先生によく相談していたはずです。

「うちの子全然練習しないんです。どうしたら練習習慣つくでしょうか?」


と。


念のためですが、うちの親は決してプロにしようとか、子供に夢を押し付けるとかそういう事ではなくて、「やるからには、ちゃんとレッスンに通うための準備をする」ということを守らせたかっただけです。


なぜならば、その後やって来る練習量全盛期には、あまりの勉学の疎かっぷりが、これまた親子関係悪化の大きな要因となったからです。


話は逸れましたが、最近は世の稽古事の事情も変わり、早くから、才能を見つけたいという目的で、いろんな習い事をしてみたり、それ自体は悪い事ではないですが、少しつまづくと「楽しくない」とか「才能ない」とか「続けていったところで・・・」という感じで、わりと気軽に諦めてしまう場面に多く遭遇します。

そう簡単に辞めちゃうと、かえって求めている才能って見つからないと思うんですけどね。

「楽しくなさそうだから」・・・ですか?


昭和の大横綱の1人、千代の富士は入門前、
「あんな大勢の人前でケツ見せるなんてカッコ悪い」と、楽しそうに入門したとはとても思えませんけどね。
そして、体格も、お相撲さんとしては、どうだったんでしょうか、、ね。


例えが、極端でしたね(笑)


話を戻しますと、これだけ、いろんな情報があれば、どれが自分に向いているか、どの舞台なら自分のパフォーマンスを最大に発揮できるか、できれば、一番条件が整ったところで生きていきたい、と思うのは当然。。子供の習い事だけではなく、一世一代の思いで入った専門学校もまた同じく。



でも、よろしいでしょうか?


誠に僭越ながら中3で「向いていない」と烙印を押されたにも関わらず、本日まで曲がりなりにも音楽と関わって仕事をしてこれてきた私が申し上げますと、自分にとって都合の良い有利な環境を探すだけに必死になっている人は、そもそも何にも向いていません。



なぜなら、人のせいにしやすいから。



明確なビジョンがあってそれを実現するためのより良き環境を求めるのとは訳が違います。


環境が整っていなければ、才能も伸びない、潰される・・・




であれば、しょせんその程度の才能かぁ、と思いましょう。






ちなみに、これは「死亡宣告」ではありません。



で、やっと本日の本題です。



しょせんその程度の才能・・・・・・




だから!





練習しましょうよ!練習!!




要領が悪いのだったら、時間かけて何度も何度もやればいいだけのこと。






当たり前のこと。





努力の無いところに魔法は存在しません。





向いていない私は、今までにたくさんの先生や先輩、仲間に魔法をかけてもらいました。




才能が平凡なので、また魔法にかかりたいと思っておりますので、練習がんばります。



ちなみに、ユジャ・ワンみたく弾けるようになりたいです。



・・・(笑)



ね(笑)
こんな風に、自分の適性に全く向いていない方向を目指したくなる、というか、おい、違うだろ、という方向に進みたがるのも、私のセンスの無いところであり、これが、「向いていない」と言われた所以なのか。

現在もそうだけど、これから今以上に、厳しく冷たくなるかもしれない、そんな世の中を安泰に渡り歩くには、たとえ国がコケたとしてもビクともしないくらいの巨大組織に属するか、もしくはどんな環境にも臆すことない強靭なサバイバル力を得るか、あとは何が起きても気づかない気にしない豊かな鈍感力を育むか、どれも無理なら、まずは目の前のちっちゃな努力をすることで道は拓けると信じて生きること。




と、久々の長いブログ、自戒の念を込めて書きました。


本当は、音楽のレッスンって、先生が何を教えているのか、じゃなくて、先生に何を教えてもらえるのか、つまりは、ちゃんと練習してこないと、質の良いレッスンが出来ないんだよってことを書きたかったんだけど、なんか違う方向に行ってしまいました。

余談ですが、、って、書いたことが本題になってしまったという、素敵なアドリブ感は、さも、これまでのわたしの人生を象徴しているかのようでもあります。


ところで、あの中3の時に言われた「音楽家には向いていない」という言葉の真意はどういう事だったのかな。
「その道に進むなら厳しい事言っておいた方がいい」と思ってそう言ってくれたんだ、とも思いたい気もするけど…。


たぶん・・・違うな。



お元気なうちに一度伺ってみたい、W山先生。