昨日のマンチェスター行き、楽しみにしていたことがありました。
それは、私が生活した場所を見に行く、ということ。
2000年7月まで、マンチェスターの王立ノーザン音楽大学が所有していた学生寮です。
大学から、空いていればバスで15分かからないような場所にありました。
治安が悪くて、外を歩くことは禁止されていました。
ここが、ハートリー・ホール。
学生寮のことを、ホール(Hall)といいます。
1999年、母と一緒に渡英し、マンチェスター空港からまっすぐここに来た時、この建物を見て、感激、そしてここで生活できることを感謝したことを、つい昨日のことのように覚えています。
私たちが出た後、大学のすぐ隣に新しい寮が建てられ始めました。
そして、イスラム系の男子グラマースクール(公立選抜中、高校)になりました。
今回、外観を見られれば、という思いでここへ行ったのですが、門が開いていて、入り口に人がいるのが見えたから、ちょっと覗いたら、中から先生らしき方がいらっしゃいました。
私が、ここが学生寮だった時の最後の住人です。 今はロンドンにすんでいるけれど、たまたまマンチェスターに来たので、懐かしくて、と伝えたら、ほかの先生方もびっくりして、なぜか、喜んで下さいました。
そして、なんと、中を案内して下さったのです!!
チャペルは、モスクに変わり、コモンルームは教室に変わったり、3つに分かれていた寮の寝室がある部分、中央は教室に、向かって左はよくわかりませんが、私が住んでいた、口の字型の部分は、改装し、現在は、マンチェスターの主にイスラム系の大学院生の寮になっているようです。
この写真の、向かって右側の日本風に言うと3階部分が私がいた場所。
中庭に面しているのは、廊下の窓。
真ん中は、ホール。
こちらが、私が住んでいたところの廊下!
たまたま、外国人ばかりの廊下(スウェーデン、アメリカ、イタリア、ギリシャ、ユーゴスラヴィア、ノルウェー、アルゼンチン、フランス、私)だったので、インターナショナル・コリドー(インターナショナルな廊下)と呼ばれていました。
当時は、各部屋のドアは茶色だったはずです。
ここでの生活が私のイギリス生活の中で最も楽しくて、思い出が多い場所。
この廊下を歩きながら、ここは、誰の部屋、ここは誰、と鮮明に記憶がよみがえりました。
毎晩のように、寝る支度をしてから、ユーゴスラヴィア人の友達の部屋にみんなで集まって(すごく狭い部屋だから、ぎゅうぎゅう)、おしゃべりをしたものです。
外国人同士だから、英語ができないのも気にならないし、だからこそ、英語がしゃべれるようになりましたが、でも、お互いに間違った英語を学びあい、イギリス人が私たちの会話を聞くと、間違いだらけでびっくり仰天!しかも、それで理解しあっていることに驚かれていました。
ですが、私は恵まれていたことにイギリス人の友人がよく英語の間違いをなおしてくれました。
これが、新しい部屋。
ベッドの位置は変わらず、机があるところに、洗面所がありました。 その隣に、ワードローブがあって、手前側に机があったのですが、現在は、以前机があった手前側に、シャワーとトイレがありました。
当時は、シャワー、トイレは共同。
この口の字型(寝室があったのは、3辺ですが)の私がいた廊下のところにシャワールームがありました。
各階に、20人くらい住んでいたはずですが、女子シャワーは、1つ。 男子シャワーは4つ。
よく、女子が男子シャワールームに入り込んで、怒られていました(私はしていません)。
日本は違うようですが、イギリスの学生寮のこのような形式のシャワーの場合、着替えを置く場所もないし、時間をかけると人に迷惑なので、部屋で服を脱いで、タオルだけ巻いて、シャワーに行くのが当たり前。
サマーコースの時、こういう感じの寮に泊まりますが、日本人受講生からよく私は注意される、というか、
「みゆきさん、今朝裸で廊下をあるいていたよね・・・」といわれます。
日本人はどうするか、というと、ご丁寧に寝室から椅子を運んで、シャワーを浴びるようです。
今は、各フロアに洗濯機もあるようですが、当時は地下にあったので、大変でした。
毎週月曜日に、寮のおそうじのおばさんが、シーツ、枕カバー、デュベ・カバーを換えて、そして掃除機をかけてくれました。
今ではずいぶん減ってしまっている、古きよきイギリスの寮生活を経験できた、貴重な場所です。
当時のままの、階段。
これが素敵なのです。
古い建物で、各フロアの天井が高めなので、3階建て、とは言っても、結構段数があって、洗濯物を運ぶ時は大変でしたが。
感激したのは、入り口。
入り口の門のところを見たら、昔のまま、Hartley Hallという文字!!
基本的に、ここの寮には1年生が入って、2年生以降は、大抵はハウス・シェアをしていました。
私たちのひとつ上の学年は、この寮が嫌いだった人が多かったようですが、私たちの学年はこの寮が大好き、という人が多かったのです。
ケントでの1年間も貴重なものでしたが、ここでの1年間もとっても貴重なもの。
まだ、私なんて音楽に関しては卵にもなっていない状態で、必死に練習、勉強はしましたが、責任などは全くなかったので、気楽。
量の食事は非常にまずいのですが、それ以上に素敵な人間関係があったのが、この寮でした。
こうして中を見せて頂くことができて、感謝です。