~内聖 内観 内省~
そのことを絶えず繰り返すことが自分をより高く導き、
自分にも他人にもより良い影響を与えます。
私達は自分を見つめて、
そのときの自分の行動や言動をもう一度見直すことで
自分を知りまた自分を導くことができます。
日々の生活の中で私達は自分の中から沸き起こってくる様々な感情や思考を抑えて動いています。
我慢したり、無視したり、偽りの嘘の自分で生活しようとしています。
もしくはそれが当たり前のように気がつかないように生活をしています。
他人が持っているものを欲しがってしまうのも同じことです。
だから私達はいつも満足出来ないでいるのです。
自分の内側…本心と言われる部分では本当は何が必要で何がいらないかわかっています。
それは私達の本心が、神聖(真性)だからです。
その神聖(私達の本心)は光です。
光で回りを照らすはずが偽りの嘘をついて動くため、光がかすみ、
闇で覆われてしまっているのです。
自ら闇をつくっていることに私達は気が付いていないのです。
私達は作られた闇に苦しみ、傷つき、悩みます。
その闇をいかに外すか、どうしたら気がつくか、どのように知ればいいのか?
答えを探そうとするでしょう。答えを探す、それは知識という情報でもあります。
知識は時に便利ですが、知識はまた闇を大きなものにも変えてしまうおそれもあります。 その情報を得たことによって、今の自分がどれほど幸せになることが出来るのか。
という風にとらえがちに思ってしまいますが、
実はそれほど変わりはしないのです。
なぜならその知識は内観ではなく、外観なのだから。
内観に答えがあることに気がつかずに外観を見てしまう。
闇を作ってしまった場合、それを内観せずに外観することに集中するのであれば、
それがまた間違いだと気がつくように何度も同じことを繰り返すようになっているのです。
しかし、外観することで内観へ近づくことも出来ます。
その間違いを再びしてしまったときにどれだけ新しい知識が活かせたか、
外観という知識を前よりどのくらい活かして、その間違いを修正できたか。
それが内省。
その違いに気がつくことによって、
私達は喜びや幸せを自ら作り出すことができるのです。
本当に求めるものは、内側(素直な心)にあります。
生きている間、私達は自分にとって一番良いものをいつも求めています。
いつも自分の本心で行動しようと思っています。
いつも最高に良い結果を求めています。
そのために日々、頑張ろうとしています。
しかしそれもまた偽りの行動なのです。
本心には近づいてはいるけれど、本心からくるものではありません
良いものを追い求めるのではなく、もうすでに持ち合わせているのです。
表現の仕方です。
言葉は万能とおもわれがちですが、
心からの本心を表現するには圧倒的におとっています。
だから、本心を言葉でうまく表現をするために情報と知識が必要になるのです。
私達は絶えず進化しています。
私達はいつも学びを求めています。
内側から沸き起こる衝動によって行動しています。 本心を表現する為にたくさんの学びが必要になっています\(^-^)/
日々の生活の中で自分を客観的に観ること。
疑問に思うこと
それをうまく言葉で表現出来たときに成長するのです。
嬉しさや喜びがでるのです。
内観し内省する。
私達の魂の源であるところは情報の塊です。
神や創造者を表現するためのものがたくさん含まれていますが、それを言葉で表現しようとすると言葉の文化がまだ追い付いていないため、難しいのです。
ですが、言葉や情報は絶えず増えています。
自分の内側から起こる衝動を言葉で表現してくれるものがたくさん作られてきています。
未来にはよりたくさんの言葉が出来上がるでしょう
過去にもたくさんの言葉が作られてきました。
そして不要になった言葉は忘れ去られます。
必要のない言葉になったからです。
心の表現として宗教というものがあります。
宗教の中に素晴らしい言葉があることに気づかなければなりません。
それは神を信じることが重要ではなく、
日々の生活の中で気がついた学びを言葉で表現するときにあれば便利というものです。
内側からくる本心の言葉を話したとき、内聖となります。
真実の言葉となります。
自分の言葉によって自分がより新しい自分に変わり、他人もまた刺激を受け、変化をうながします。
真実とはなにか。
真実は心の中にあるのではなく、肉体の中にもありません。
真実は真我の中、魂の中にあります。
すべてが完璧な世界にあります。
それは誰もが持っているものであり、私達が到達すべき場所です。
感情や思考を越えたところです。
自分を知ることでそれに気づいていくでしょう。
私達はお互いに個々に高めあっていく存在です。
今日も私達を導いてくれている生命の源の魂に感謝します。
(2010年8月27日 オーストリア・ザルツブルグ、聖ペテロ教会にて)