第三章「学校に関わりを」 | 元校長先生のブログ

第三章「学校に関わりを」

途中で主役交代―「ダブルキャスト?」―その(1)

 

 小学校では、「学芸会」がなくなってきて「学習発表会」という形が増えている。学力低下問題を受けて、授業時間を多く確保したいためである。学芸会の練習は、国語・算数・理科・社会など、どの教科時間にもカウントされないので、学習発表会とすれば、その準備はそれぞれの教科字数になる、という理屈である。それでも学習発表会の一部分として、子どもたちが「劇」を演じているところもある。いくつかの小学校へ劇を観に行った。



元校長先生のブログ-途中で主役交代―「ダブルキャスト?」―その(1)





 演目は6年生の『杜子春』。芥川龍之介の短編で知られる作品だが、台本はどこかの劇団から借りたものに手を入れたらしく、たいへんよくできている。子どもたちの演技も一生懸命だ。保護者たちも期待を込めてじっと観ている。ところが、幕が変わって後半に入ると、今まで男の子が演じていた杜子春が、突然、女の子の杜子春に代わってしまっているではないか。


 これはヘンだと意見を届けてみると、学校の先生は「ダブルキャストです。」と堂々と答える。ダブルキャストというのは、たとえば金曜日はAさん、土曜日はBさんというように、日を変えてのキャスティングを指すはずだ。専門劇団などでもこうした方法はとられている。


 別の小学校の『ごんぎつね』。4年生の教科書に出てくる新見南吉のお馴染みの作品である。かわいらしいキツネのゴンが微笑ましい。ところが、2幕目のゴンがメガネをかけて登場してしまう。最後まで観て数えてみると、4幕4人のゴンは一幕ごとにすべて違う子どもが演じたのである。ここでも学校からの答えは「ダブルキャストです。」


 ご丁寧にも「オーディション」とやらをやって、希望者が出たらその子たちをみんな主役にして、セリフの量をできるだけ均等に割り振るというところもあるそうだ。6年生の『夢からさめた夢』(原作赤川次郎)では、主役の女子児童が8人もいたのを観たことがある。しかも終演後には体育館の出口に出演者がずらりと並び、「ありがとうございました!」と観客に頭を下げながら、「ねぇ!泣いている人いない?」などとささやき合っている。これで感動を呼べると信じているとしたら恐ろしい。これで子どもは「育つ」のか。どんな子どもが育つのだろう。


 演劇というものへの冒涜ではないか、と思う。保育園や幼稚園ならまだ許せる。それは、「劇あそび」「劇ごっこ」と位置づけられているからである。しかし私の友人が園長を務める幼稚園では、主役を一人で最後までやり通しているところもあるのだ。


 なぜ小学校でこんな珍妙な事態が発生するのか。どうやら背景には親がいる。「主役をやらせてほしい」「出演場面を多くしてほしい」「セリフの数を増やしてほしい」「みんな平等であるべきだ」等々である。


 「そんな親の声は正当ではないのだから、劇本来の姿を子どもに教えるために、主役を一人の子で通してみてはどうか。」と私は校長先生に投げかけてみた。すると

「すぐ教育委員会に通報されてしまいますよ」との答えだった。学校が親の理不尽な要求に負けてしまっているのだが、もっと驚いたのは次のような会話である。


「そうなったら教育委員会に守ってもらえばいいじゃありませんか。」


「とんでもない。教育委員会は私たちを守ってくれませんよ。親の要求が通るように、学校は『指導』されるんです。」


 教育委員会とは何か、という問題も生じることになってしまうが、それはさておき、根底には「どの子も平等に!」という妙な平等感がはびこっていることにある。主役を演じる子も裏方で舞台を支える子も、それぞれがそれぞれの役割を果たして一体となり、一つの劇を作り上げているはずである。人間としての平等は損なわれていない。それぞれの役割を果たしつつ、心を一つにする。それが演劇の良さであり、社会に出たときのための勉強なのではないか。「演劇教育」に力を入れている教師はどんな意見を持つだろうか。


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