第二章「親の態度で子どもも変わる」
子どもと読書―その(1)
子どもは、いつごろ、どんなキッカケで読書に向かうのだろう。どんな子どもが本好きになるのだろう。私にとっては、依然として不明の領域である。
「本を読めって、言ってるんですけどねぇ。」よく聞くセリフである。しかしこんな親ほど、自分自身が本を読んでいないという皮肉な傾向が見える。「本を読め」と言えば読むようになるのか。そんな単純なものではあるまい。また「本を読めば国語の点数が上がるから読んだ方がいい」という親もいる。これも、何か本質からそれているように思われる。
幼いうちから「読み聞かせ」に取り組む幼稚園や小学校も増えた。親の意識も高まっている。しかし、そこから読書につなげる方法は何なのだろう。「幼いころから読み聞かせをしていたおかげで、本が好きになった。」という子どもも確かにいるが、一方「小さいころには読み聞かせを喜んでいたのに、今は本を読まなくなってしまった。」という子どももいる。どこかに客観的なデータはないものかと、もどかしく思う。
春・夏・冬の長期休業中に我が家にやって来る施設暮らしの少年は、小学生のころには全く本を読まなかった。中学生になっても『こちら葛飾区亀有公園前派出所』通称『こち亀』などお気に入りの漫画だけを選び、笑い声を上げて読む。
少年の寝る部屋には絵本や「岩波少年文庫」など、けっこうたくさんの子ども向けの本も置いてあるのだが、見向きもしない。その後、ストーリー性のある『ブラックジャック』や『美味しんぼ』を好むようになった。しかし、手に取るのは相変わらず漫画のみである。なぜか同じ作品を繰り返し読む。「多動性ではないか」とさえ思えるほど落ち着きのない子だったが、この時ばかりはじっとしている。
静かに楽しそうに過ごしているならそれもいいと考え、意のままにしておいた。今にして思えば、それがよかったのかもしれない。私が教員として教えてきた生徒の中には、漫画さえ読まない子がいて、その子は当然の如く本を読むことはなかった。我が家にやって来る少年にとって、笑い転げるようなギャグ漫画からストーリー漫画への移行は、僅かながらも一歩前進、小さな階段を昇る大事なステップだったように思う。
何せ中学2年生の夏休みの宿題に「読書感想文」を負わされ「オジサン、うんと短い小説かなんか、無い?」と困惑げにではあっても堂々と投げかける子である。「芥川龍之介なら、かなり短いけど・・」「うん。これ短い!これにする!」と決めたのは『蜘蛛の糸』だった。出来上がった感想文は、絶対に見せない。食事のときにちょっとカマをかけてみる。「キミが主人公だったら、蜘蛛の糸にぶらさがって下から昇って来る人を、どうする?蹴飛ばして落としちゃうんじゃない?」「うん、そうする。感想文にそう書いたよ」と悪びれずに答えるので、私たち家の者は吹き出してしまう。
ところが、中学3年生の冬休み、つまり受験生のころだった。「東野圭吾だったら、なんたって『手紙』だよね!」と突然、得意げに言い出した。同じ作者の新刊『流星の絆』を早く読みたい、とも言う。私は慌ててしまう。さっそく買いに行かせると、受験勉強の合間に2時間もかけずに読み終えるのだった。「漫画ばっかりだった子が・・」と私たち家族は感動さえ覚える。
夜、寝る前には我が家の書棚から『ナイフ』『エイジ』(重松清)、『死神の精度』(伊坂幸太郎)、『博士の愛した数式』(小川洋子)等々、直木賞作家や本屋大賞受賞作家の作品など、みずから選んで抜き出し、夜中の1時2時まで読みふけるようになったのである。
彼の内面にどんな変化が起きたのか。推察としては、「漫画歴」が貴重なサナギの時期だったのではないかと思われることだ。私自身にも身に覚えはある。『赤胴鈴之助』の時代である。我が家の娘も、『アラレちゃん』ばっかり読み続け、『花より男子』全巻そろえるほどのマンガ人だったのが、大学生になったある日、これも突然「『家族狩り』(天童荒太)っていいとこ突いてるじゃん」と言い出して親を驚かせることがあった。「イタリアに行くんなら『ローマ人の物語』(塩野七生)ぐらいよまなきゃね」とも言う。ある時期子どもには漫画が栄養素になり、次へのステップになることもあるのだ。
あるいはその少年の場合、児童養護施設で今まで数人との相部屋だったのが、中学3年生になってから一人の部屋を与えられたことも影響しているだろう。生活の変化が読書に向かわせることもあり得る。そして手前みそで言えば、本のある部屋に寝泊まりさせていたことも幸いしていた、と考えることができる。本に囲まれていれば、いつかは手を伸ばす。そこでたまたま出会った作品が面白いと思えれば、いっそう読書欲も増すにちがいない。高校生になってからその少年は(これも本屋大賞)「『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子)なんてどぉ~すかぁ?」などとメールを寄越したりする。自分から本を探せるようになってきたのだろう。
もちろん、全ての子どもがこれに当てはまるかというと、そんなことはない。短期の養育家庭として生活させた子どもたちの中には、同じく本のある部屋に寝泊まりさせても、本への興味を示さない子が多い。子どもによって反応がまちまちなのは、当然のこととは言え、不思議でもある。

