戸惑う子どもたち
ドメスティックバイオレンス(DV)―その(1)
DVという言葉は、いつごろから世に広まり始めたのだろう?
子どもの不登校や引きこもりが長期化し、貯め込んだエネルギーが親に向かい、「自分をこうさせたのは、お前だ!」と言わんばかりに子どもが親に暴力を振るうケースがあるが、これは「家庭内暴力」と呼ばれた。「ドメスティック」という外来語が「家庭内の」という意味を含むにもかかわらず、子から親への暴力をドメスティックバイオレンスとは呼んでいない。
また別掲で述べるように、暴力をともなう「児童虐待」も家庭内の密室でのできごとである。しかし、親から子への暴力が明らかに「家庭内の」ものであるのに、これもドメスティックバイオレンスとは言わない。だから言葉の使い方を訂正せよ、などと異議を唱えるつもりは全くないが、少々不思議ではある。
結局、子どもから親への「家庭内暴力」や、親から子どもへの「児童虐待」とは区別して、配偶者がその相手を(近ごろでは恋人同士の片方がもう一方を)暴力的に支配することを「ドメスティックバイオレンス(DV)」と呼ぶのが一般的な解釈であろう。
私の担任するクラスに、お酒を飲むと暴れるという父親がいた。家具を壊したり、妻(子どもの母親)に暴力をふるったりする。子どもはその度に集合住宅の屋上に避難し、一晩をそこで過ごすなどということも度々あった。長年のそうした影響もあるのだろう。中学校1年生としては、体全体が細く身長も低い。環境が子どもの健全な成長を阻害していたのかもしれない。学習も遅れている。教室ではいつもオドオドしており、友人関係もうまく作れない。いじめの対象にもなった。
「酒乱」はどの程度のものなのか、確かめたいと思い、意見交換も期待して私は家庭訪問を利用し、その父親とお酒を飲むことを決意した。いざという時には警察を呼ぼうか、と不安を抱えながらもその家を訪ねてみると、物静かな腰の低い父親だった。小心と言ってもいいように見受けられた。緊張して私も酔うことはできなかったが、その父親も私の前では「乱れる」ことはなかったのである。
30年近くも前の話である。この父親を単なる「酒乱」と呼んでよかったのだろうか、と今は思う。現代風に言えばやはり「ドメスティックバイオレンス」の一種ということになるだろう。DVという言葉が世に広まるずっと前から、DVに該当する「事実」はあったのだと言える。被害者となる弱い立場の者は、たまったもんではない。
ほぼ同じ時期に、教え子の母親が新婚生活の我が家を突然訪ねてきた。私の妻は小学校教師を務めていて、その母親の息子は、小学校時代に妻が担任し中学校では私も授業を担当したことがある、という珍しい縁があった。
母親は、手にボストンバッグを提げている。手や足にはアザがある。夫の暴力から逃れてきたのだった。息子の「共通の教師」という立場を頼って訪ねてきたようだ。洗面用具や着替えなども持ってきている。「家出」と表現できるかどうかは分からないが、相当な覚悟の上での行動であることは間違いない。「家出」というより「逃亡」というべきか。しばらく我が家で生活してもらうことにした。
このような場合、夫側が捜索願か何かを出して訴え出たらどうなるのだろうか。もはや学級担任でもないし、「家庭訪問」して父親と話し合うという理屈も勇気も、私たちにはなかった。役所に電話し相談してみると、こんなケースのための「シェルター」があるのだそうだ。2週間ほど後に、その母親は役所を介してそこに逃げのび、そこで生活することになった。
一件落着!と胸を撫でおろした。ところが、それから1ヶ月もしないうちに、今度は教え子である息子本人が、家を出て我が家にやって来たのである。母親と同じように、彼もしばらく我が家で過ごしていたが、幸運がそこに一つ生じていた。大学生になるその息子は、宝くじで30万円が当たっていたというのである。すぐに知り合いの不動産業者に依頼すると、格安のアパートを探してくれた。学習塾でアルバイトをしながら大学に通うことができたというところまでは、確認できている。
しかし、彼のその後の人生は、同級生等に調べてもらっても不明のままだ。初めに家を出て我が家にやって来た母親も、シェルターの所在地さえ知ることのできない私たちには連絡の取りようもなく、今も音信不通である。父親の暴力が生んだ、家族離散の悲惨な例がここにある。DVという言葉の存在を、まだ知らないころのDVである。

