戸惑う子どもたち
男の責任 — その2
離婚が増える一方、いわゆる「できちゃった婚」が増えている。今は「デキ婚」と言うらしい。古い人間には抵抗感が拭えないが、それが3割以上ともなり、少子化の世の中ではもはや、容認せざるを得ない状況となっている。
しかし、「できちゃった」けれども結婚はできなかったとしたら、それをどう考えるべきか。高校に入ったばかりの女の子が、16歳で妊娠した。その女の子の父は激怒し、母はうろたえるばかりだった。世間の目は冷たい。
高校に入ったばかりのその女の子は、悩みに悩んで、母校である中学校の養護教諭(保健室の先生)のところに相談に行った。そこでどんなアドバイスをもらったのかは分からないが、お腹の子を産むことにした。たいへんな決断である。高校も辞めることにした。その高校生の両親も、仕事や住居など彼女をバックアップすることにした。ところが、お腹の子の父親である男は、行方をくらまし逃げてしまったのである。男の責任はどう果たさせればよいのか。
シングルマザーとなった16歳の女の子を「ふしだら」などと呼ぶのはたやすいし、そんな考えはもう古いと言われてしまうが、こうした無責任な男は世の中にたくさんいるに違いない。
1979年ごろ、テレビドラマ『3年B組金八先生』が一世を風靡した。このドラマは、いくつかの不自然な点を抱えながらも、現場教師としての私は、非行など社会問題を正面からテーマに据えるなど、評価すべき一面もあると考えていた。だが、「15歳の母」シリーズに驚き、評価を低めてしまった。
テレビというのは、一部の(あるいは多数の)視聴者に、それがたとえ作り物の「お話」であっても、事実や真実だと思わせてしまう力がある。「どうしてこの学校には金八先生のような教師がいないのか」と真剣に発言する親がいるくらいなのだ。まして堂々と高視聴率をあげると、「15歳で子どもを産んだっておかしくないんじゃないか」という新たな「常識」を作り出す。中学生が性行為をしたっていいじゃないか、という許容論も広まる。「まだ体験してないのが恥ずかしいから」という理由で、性行為に及ぶ女子高校生もいるそうだ。「性体験のないことが、恥ずかしい?」そんな世の中が行きつく先はどうなるのか。
そして2006年、『14歳の母』というドラマが生まれ、これも高い視聴率を稼ぎ出す。こちらは私立中学校の設定で、相手の男は責任をとらず、家族に見守られながらの「感動的」な出産となる。世の中はどんなメッセージを受け止めたか。
現実が先かドラマが先か。あまり表沙汰にはされていないし、私の勤務してきたところには無かったが、実は中学生が妊娠した例はけっこうあるのだ。中絶という処置で解決した方法もあれば、産んだあと高校受験の会場で乳が張って困ったなどという例もある。その生まれた子どもはどんな育ち方をするのだろう。母親が産んだことにした者もいれば、乳児院に預けた者もいる。私の知る限り、男はシラーっとしたまま何もしていない。
日本は性教育が不十分だから、と説く人も多い。私は反論できるだけの実践も技量も持ち合わせていないが、しかし果たして性教育が充分になされれば、それでいいのか。否である。家庭教育も含めた、人間性をどう育てるかという教育の問題であろう。

