戸惑う子どもたち | 元校長先生のブログ

戸惑う子どもたち

暴力だけが虐待ではない その2

 


元校長先生のブログ-暴力だけが虐待じゃない②
校長在職中の中学校には、アルコール依存症の母親を持つ男子生徒がいた。離婚によるさまざまな負担がストレスとしてたまり、お酒の力を借りなくては生きていけなくなってしまったのだろう。酔って暴れるとか子どもに危害を加えるとかいう行動はないけれど、母親は食事の支度もしなくなってしまったため、中学生の息子は、何事も一人でやらざるを得ない。


中学生と言っても、まだ子どもである。母親からの愛情がほしい。満たされぬまま彼は、けなげに登校し勉強にも取り組んでいる。ちょうどその学年に、定年退職後に嘱託として勤める家庭科の教員がいた。当時嘱託員は担当の授業時間数が少なかったから、時間的に余裕がある。その先生が言わば「母親代わり」のように彼に声をかけ、毎日のように彼と話し合う時間をとった。中学生には、貴重な時間だったと思う。


一方で校長として私は、地域の民生児童委員と連絡を取り合うことにした。この人がことの重大性を理解し、保健所と連携してくれたのである。つまり、虐待の一種とは言えるけれども、母親のアルコール依存を解決しなければならなかったわけだ。民生児童委員→保健所→医師という具合に、専門家の力を借りないと改善できないことが多い時代となっている。学校が、あるいは地域周辺が、子どもの立場に立って考え行動する必要がある。

 

実は学校の先生は、意外に鈍感なところがあると私は思っている。教育の基本は子どもを信じることだというメッセージが染みついていて、疑うことに慣れていないせいもあるのかもしれない。「中学校3年男子生徒が進学を前にして、まるでヤル気を見せない。服装も行動もだらしない。いくら叱っても将来に関してチャランポランなことしか言わない。どうしたらよいか。」と、現役教師から相談を受けたことがある。実際にその生徒と会ったことはないが、おぼろげにイメージは浮かぶ。


よく聞いてみると、「どうせお前なんかダメなヤツだ!」と父親が酔ってその子を罵倒することがしょっちゅうあるらしい。子どもなりの自尊心・自己肯定感を、潰されているのだ。そういう子どもは、攻撃的になるか投げやりになるか、どちらかである。「虐待を疑ったほうがいい。家庭の状況をもっと知る必要がある。」と私がアドバイスしたところ、母親の言によればなんと父親は、酔った勢いで高校生の姉のベッドに入ってしまうこともあるというではないか。手を上げての暴力はないが、性的虐待と言える。男の子を罵るのも尋常ではない。母親は離婚も考えたが、これまで一度も働いたことがないので、離婚後に仕事をする自信がないそうだ。父親の職業は、外務省職員と聞いている。


もう学級担任一人の手に負えることではない。すぐさま校長を通して、児童相談所や地域の民生児童委員に入ってもらう。中学生はこの家庭から脱出する形で難を逃れ、他県の児童養護施設から高校に通うようになった。児童虐待の根底には、「貧困」「格差」があると説く人もいるが、こんな例を知ると、必ずしもそうとは言えない面があることも窺える。


2004年の「児童虐待防止法」改正によれば、虐待と思われる事態を知った者は、すぐさま関係機関に通報する義務がある。「通報する義務を知らない」と答えた教員が3割もいた、という調査結果があり驚いたことがある。5年ほど前の数値だから、今ではもうそんなことはないだろうが、学校の先生は、鈍感であってはならない。子どもの様子を判断する鋭い目と優しい心を、併せ持つ必要がある。本来なら、家庭や地域にその力がほしいところではあるけれど。

 


「修学旅行の費用がまだ納入されていないのですが。」と学校から母親に電話をかける。すると「娘からなんにも聞いていない。だからそんなもの払えない。」と納入を拒否される。とてつもない論理があるものだ。「そうすると娘さんは、修学旅行に行けなくなってしまいますよ。」と再度促すのだが、「別に修学旅行なんて行かせなくてもいいです!」と冷たい返事が返ってくる。生徒本人が行きたくないという例はあるが、親が修学旅行に行かせる意志がないのは、聞いたことがない。現役の中学生の話である。


それでいて、児童相談所からの呼び出しがあると母親は、「娘を○月○日に児童相談所に行かせてほしい。」という依頼の電話を学校にかけてくる。自分で伝えればいいではないか、と考えるのが常人の当然の発想なのだが、この母親は、自分の子どもと関わりたくないのだ。見かねた祖父母が、通学に1時間半もかかるところに、孫である中学生を預かり面倒を見ることになった。中学生は母親の家の鍵を持っているから、時折「自宅」に帰ることもある。母親に黙って自分の家に入ると「ドロボー猫!」と罵られてしまう。


児童相談所も、一人100件以上ものケースを抱えていて、近年では命に関わる虐待に振り回されている。非行少年も扱わなければならない。私の知り合いの職員は、土日も働き詰めが続き半年間で休みを取れたのは、わずか2日間だけだという。


しかしそうは言っても、これは明らかに児童虐待である。「母の愛」はどこへ行ったのか。中学生はどんな思いを抱えて今、学校にかよっているのか。祖父母が親権を得て、祖父母の家の近くの学校に転校するしかないのではないか。

 

児童虐待は、暴力だけではない。マスメディアが取り上げるのは、暴力による児童虐待のほんの一部分にすぎないのである。食べさせない、面倒を見ない、罵る、人格を否定する等々を平気でする親は確実に増えている。「通報」だけでいいのか。加害者を責めるだけでいいのか。こうした親を孤立させずに、人と人との繋がりの輪に巻きこむ手立てはないものかと思う。


厚生労働省の発表によれば、児童虐待の「相談件数」は1年間に5万件を超えた。20年前の50倍の数値である。では児童虐待が1年間に5万件も起きているのかというと、それは違う。「相談件数」の中には「通報」も含むからだ。「相談」とはなんともあいまいな言葉である。私が教えている大学生の中には、この「相談件数」を「被害者である子どもが(あるいは加害者である親が)関係機関に電話したり出向いたりして相談した数」と解釈してしまう者さえいるくらいだ。


「児童虐待と思われる事態を知った者は、関係機関に通報する義務がある」とする04年の法律の改正があったために通報が増加し、この「相談件数」も増えたと言える。学者の中には、これを根拠として「虐待が増えているとは言えない」と説く人もいる。


だが、相談するほどでもない、通報するほどでもない、そして暴力性を帯びていない虐待は、どのくらいあるのだろう?数値に表すことは不可能だが、ごく普通のごく平和に見える家庭に潜んでいる、と私は思っている


「いい子にしてないと嫌いになっちゃうよ!」「ダメなやつだなぁ!」「○○高校以外は高校と認めないから、絶対そこを受験して受かれ!」等々、親からすれば子どもに対して良かれと思って投げかけた励ましの言動が、実は子どもの心を蝕み自己肯定感を低下させ、自立の芽を摘んでしまうことがある。


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