戸惑う子どもたち | 元校長先生のブログ

戸惑う子どもたち

暴力だけが虐待ではない その1

 

 「親に殴られ小1死亡」(東京)、「3歳児ポリ袋をかぶせて死なせる」(大阪)、「長男を殴るなどして1歳男児死亡」(神奈川)、「アパートで1歳の女児窒息死」(茨城)・・・。児童虐待で死亡した子どもは、毎年60人前後を数える。ただし、生まれてすぐに子どもを遺棄したり死なせてしまったりする「嬰児殺し」は、この数に含まれない。


人が一人死ねばそれは事件だから、新聞やテレビで報道される。報道されるのは暴力による虐待が圧倒的だ。しかも、母親の継父または母親の交際相手(内縁の夫)が加害者によるものがニュースの特徴となる。そうなると、虐待=暴力=内縁の夫というイメージが、世間には知らず知らずにインプットされてしまう。しかし、統計数値を見てみると、少し異なる印象が浮かび上がる。



元校長先生のブログ-暴力だけが虐待じゃない①




 東京都の統計によると、児童虐待の加害者として最も多いのは「実の母親」であり、約6割を占める。とは言えこれが即、母による「暴力」とはならない。児童虐待には、身体的虐待・性的虐待・ネグレクト・心理的虐待の4種類があり、「加害者が実の母親6割」の中には、ネグレクト(育児放棄)や心理的虐待が含まれるからである。


 その意味でも、かつて小中学校に貼り出されていた「許せねえ!虐待!」というポスターには大きな違和感を持つ。写真は強面の歌手であり、そのアップの顔は、見る者を脅しているようだ。「脅し」で虐待がなくなるのか。厚生労働省のポスターだとしたら、お役人の意識なんてこんなものか、と評価せざるを得ない。


 

 もう15年も前になる。土曜日の午後に私の家の前で、小学校6年生の女の子が遊んでいた。その子の家は100メートルも離れていない。「川に近いから、花火がよく見えていいだろうな」などと私たちは、ノンキに羨ましく思っていた。


我が家の娘が「あの子、お昼ごはんを食べてないんだって。」と言う。それならと焼きソバを食べさせたのだが、聞けば朝も食べていないらしい。食べさせてもらえないようだ。うかつにもそのころ私たちはまだ、児童虐待という言葉さえ知らなかった。腕や足は細く、顔色もよくない。黙々と焼きソバを食べる顔に笑みもない。


 その翌週の夜9時過ぎに、その子の担任の先生から電話がかかってきた。私は教員としてでなく、地域の一員としてその先生とは面識があったから、頼ってきたのである。「その6年生の女の子が、家に帰っていない。できれば探してほしい。」ということだった。


 私と妻は、おっとり刀で自転車に飛び乗る。晩秋で夜は寒い。風を避けられる場所はどこか。学校の非常階段、給食の残飯を保管する倉庫等々、心当たりを探してみるが、みつからない。後に、災害の時などに必要なものを格納している備蓄倉庫の上で、段ボールを重ねて過ごしていたことが判明する。小学校6年の女の子が、ホームレスと同じではないか。河川敷で、河原に生えているススキなどの草木を寝床に、一夜を過ごしたこともあるらしい。暴力も痛ましいが、こんな形の虐待も痛ましく、胸苦しい思いにさせられる。


 家出ではなく、母親が何かの罰として、その子を家に入れてくれなかったのだそうだ。母親は、我が家で子どもにお昼ごはんを食べさせた後に顔を合わせても、礼の一つもなく、他人の意見など聞く耳を持たない。担任の先生は教育相談所などとも連絡を取るが、母親は、公的機関などハナから信用しない。他人を信じていないのかもしれない。父親はいるのだが、全く何もしない。虐待をする親は、隣近所から孤立傾向にあると後に知った。まさにその典型である。その意味で児童虐待は、地域の教育力の崩壊、人と人との連帯の喪失、さらには少子化・核家族化等による時代の変化の申し子と言えよう。


 児童相談所にも話を持ち込み、なんとかその子の家庭と連絡を取るよう試みてもらったり、児童養護施設への入所の道を探ってもらったりもしたが、これも難しい。小学校卒業・中学校入学の時期が近付いたので、あらかじめ中学校には、「こういう子が行くからよろしくお願いしたい。」と、知り合いの先生を通じて頼んでおいた。


 ところがある日、本人が「施設に行く」と言い出したのである。小学校6年生にしてよくぞそこまで!と感心させられるほど、その選択は極めて賢明だった。その後、児童養護施設や私立高校での生活にも恵まれ、福祉の仕事にも就くことができた。しかも・・・小学校6年生のあの時から8年後に、彼女は突然我が家を訪ねてきてくれたのである。


奇しくもその日は、市の花火大会の日であった。「おじさん。おばさん、その節はお世話になりました!」と折り目正しく挨拶してくれる。我が家で焼きソバを食べたことも、私たち夫婦が彼女を探し回ったことも、たぶん覚えていてくれたのだ。


 やせ細っていた身体はふっくらとし、健康そのものの笑顔である。私たちはあの頃のことを一瞬のうちに思い出し、涙があふれそうになった。あの母親は暴力的ではなかった。しかしその仕打ちはあまりにもひどい。彼女が自からそこを逃れて自立して行かなかったら、こんなに素晴らしい人生を歩むことができただろうか、とつくづく思ったものである。


元校長先生のブログ-暴力だけが虐待じゃない①