働かざる者
どうしたら格差がなくなるのか
そんなことを考えて作られたのが
共産主義だったのかもしれない。
しかし、それは失敗してしまった。
ソ連は崩壊し
中国は独占・覇権主義国家になり
ベトナムはもはや共産主義に見えない。
最後までがんばっていたキューバも
白旗を上げてアメリカにすり寄っていった。
資本主義でありながら
格差をなくすために考えられたのが
累進課税である。
累進課税と言えば
僕が受験生だった頃
予備校の先生から聞いた話を思い出す。
収入の70%が税金で持っていかれると言っていた。
「せめてこっちが手取りだったらなあ」と
当時人気の日本史の先生が言っていた。
今はそこまで取られない。
確かに頑張って働いてたくさん稼いだ人が
70%も持っていかれたら
「やんなっちゃうよなあ」という気持ちもわからなくはない。
しかし、かたや月収15万円もない人が
たくさんいる中にあって
月収が1000万、2000万という人もいる。
そんなに必要か?と思うと同時に
そんなに格差が出来てしまう
社会のシステムの方がおかしくないか?
それを考え直した方が良いのではないか?
本当は体を動かして働いている人
たとえば介護職の人とか
道路工事に人とか
農家の人とか
そういう人たちの収入が一番多い
という方がいいんじゃないか?
そんなことを考える
「ブルシット・ジョブ~クソどうでもいい仕事の理論」
という本の中で語られているが
世の中「クソどうでもいい仕事」が多すぎるようだ。
しかも
そのクソどうでもいい仕事に支払われる対価は
上記のような
いわゆるエッセンシャルワーカーに比べて
極端に高いと言う。
「クソどうでもいい仕事」をやめて
本当に意味のある
本質的(エッセンシャル)な仕事だけを残し
きつい仕事、みんなが嫌がる仕事
そういう仕事をしている人の収入が一番高い。
そんな社会の方がまともな気がするのは僕だけだろうか?
画面を見ながら
数字を右から左に動かしている人が
一番お金をもらって
体を酷使したり嫌な思いをしながら
歯を食いしばって働いている人が
一番給料が少ないというのは
違和感を感じる。
働かざる者食うべからず
いや、もちろん
上記の本の著者グレーバーが言うところの
ブルシットジョブの人たちも
その人たちなりに一生懸命仕事をやっているのだろう。
ただ、その仕事いらなくないか?
というふうに思うのは僕だけではない。
それは「ブルシット・ジョブ~クソどうでもいい仕事の理論」
この本がベストセラーになったことで
証明されているような気がする。