1.fuji-no9さん

 

鬼平犯科帳は

私も好きでした(^^)

 

二代目中村吉右衛門さんも

お父様の八代松本幸四郎さんも

どちらのバージョンも

全部観ました

 

時代劇では毎週のように

バッサ、バッサと斬っていますが

現実的にはそうでもないからこそ

フィクション作品が生まれる

素地があるんでしょうね(笑)

 

 

2.若みどりさん

 

家康は

自分からの距離が遠い人程

大きな石高で召し抱えますね

 

譜代より外様、

譜代でも三河州より

遠江の井伊家などが

大きな石高ですもんね

 

大岡家は松平家に

近すぎましたかね(苦笑)

 

昔は10人兄弟で

上と下が15歳くらい離れている、

なんて事もよくありましたから、

家康の大叔母とは言え

あまり年は変わらなかったのかも

しれませんね

 

 

3.ニャッキ、リスさん

 

遠山の金さんは

入れ墨で当時から

有名奉行だったようですね~

 

桜吹雪では無く

ドクロの入れ墨という

話しもありますが

 

長谷川平蔵に関しては

完全に池波正太郎氏による

名前以外は創作ですね(笑)

 

 

4.マスカットさん

 

長谷川平蔵は

お祖父様の八代松本幸四郎さん

叔父様の二代中村吉右衛門さん

からの十代松本幸四郎さん

という流れですから、

長谷川平蔵のサラブレッドですよね

 

将来は当代市川染五郎さんも

長谷川平蔵になりますかね~

 

親の一字、祖父母の一字、

日本での名付けですと、

このパターンは多いですね(^^)

 

 

5.珊瑚さん

 

現英国王室も、

遡っていくと

長男はドイツ貴族で公爵、

次男は英国女王と結婚し、

その子が英国王になり今に繋がる。

 

次男で継承権が無いからこそ、

より大きな家に行く、

というパターンは世界各地の名家で

見られますね~

 

大岡家も長男の方が小さな家、

四男の方が宗家を継承という

一般人的には

不思議パターンですね(笑)

 

 

6.トモカさん

 

同心や岡っ引きが頑張る

フィクション時代劇もありますが、

それなりの身分のある人物が

主人公の場合、

やはり戦国から続く

家柄となりますね~

 

大岡越前に関しては

様々なエピソードが

現在でも残されていますが、

いくつかは本当である一方、

大半は中国の物語の

日本版の主人公として

大岡越前が選ばれた形のようですね

 

よもだで揚げ茄子おろしとごぼう天、

楽しまれたんですね~(^^)

 

よもだの夏の

美味しい一杯ですね♪

 

 

7.しーchanさん

 

大岡家、長谷川家、遠山家、

全て戦国時代に

先祖が活躍して来たからこその

奉行になる家柄でしたね~

 

歴史は繋がっていきますから

面白いですね(^^)

 

 

8.むうさん

 

家康は自分に近い人物にこそ

石高で報いない傾向があります

 

譜代大名より外様大名の方が

石高が大きいのはその好例ですが、

大岡家もまた200石とは

残念無念な石高でした(><)

 

昔は兄弟でも上と下で15歳差くらいは

よくあった事例ですので、

家康の大叔母とは言え

案外年は離れていなかったのかも

しれませんね

 

山県旅館は山梨の良い旅館ですよ~

 

 

9.Himawariさん

 

江戸時代にそれなりの家格があり

役職に付いている身分だった

時代劇の主人公たちですと

戦国時代にまで遡っても

それなりに活躍していますね~

 

武田家滅亡と共に

山県氏も歴史の表舞台からは

消えて行きましたが、

そこから数百年、

今では山梨の有名旅館となり、

家名がしっかりと残され

凄い事ですね

 

 

10.emiemiさん

 

遠山家は

源頼朝から岐阜県伊那郡を任される

由緒が正し過ぎるレベルの

家なんですよね~

 

勿論、由緒は正しくとも、

戦国期には地方豪族レベルに

なってしまいましたので、

大大名にまでは復活できず、

小大名1家と大身旗本1家に

とどまりましたが、

その旗本家の分家筋が

遠山の金さんなんですよね(^^)

 

長谷川家の他の旗本家が

どんな役職に就いたのかは

よく分かりませんが、

一番石高が少ない鬼平の家で

火付け盗賊改め長官ですから

それ以上の役職は得ている

家だったんでしょうね

 

 

11.KICKSさん

 

そうなんですよ~

次男坊で部屋住みで終わる人もいれば、

紀州の部屋住みから将軍になる人も

四男家の四男から名奉行になる人も(笑)

 

井伊直弼もそうですし、

人の人生分からないものですね(^^)

 

家康の父からの「忠」を継ぐ家で

三方ヶ原、長篠を戦い抜いて200石・・・

これはケチですよね(苦笑)

 

まぁ、参戦した事実はあっても

その時何をしていたのかは

私たちは知らず、家康は見ていた、

その結果の200石なのかも

しれないですけどね(笑)

 

 

 

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