江戸時代というと、

身分社会として、

能力があっても立身出世が望めないという

イメージがあります。

 

無能な藩主に翻弄された

下級武士のエピソードは、

時代小説や時代劇の題材になると共に、

実際に多くあったと思われますが、

身分を超えて立身した人物も中には居ます。

 

 

大名にまで登り詰めた人物としては、

まずは大岡越前で有名な

大岡忠相が居ます。

 

こちらは

暴れん坊将軍徳川吉宗によって

突然立身出世をして大名になった人物に

思われがちですが、

祖父の祖父は

三方ヶ原の戦い、長篠の戦いに参戦している

徳川家譜代の家臣ですし、

その長男は関ケ原の戦いの前哨戦、

伏見城の戦いで

鳥居元忠と共に戦死しています。

 

徳川家は

この西軍側への「エサ」として

死ぬことを約束されて伏見城に残り、

その戦いに参戦した武士の子や一族を、

以降手厚く遇していますので、

元来出世する素地のある家柄でした。

 

 

次に六義園で有名な柳沢吉保、

こちらも徳川綱吉によって

突然立身出世したイメージが強いですが、

元は武田家に仕える武士の家で、

旧武田家家臣団として

徳川家内でしっかりと遇され、

武田家滅亡後

祖父の代から家康に仕えた家柄でした。

 

その素地があっての立身出世でした。

 

 

突然の大出世という事では

本庄宗資でしょう。

 

誰??

となると思いますが、

笠間藩となり、

子孫は宮津藩の藩主となる家柄で、

宮津藩主からは老中も排出しています。

 

で、誰??ですが、

徳川家光の側室で

徳川綱吉の母である桂昌院の弟です。

 

こちらは桂昌院の影響力で

異例中の異例の大出世を遂げ、

何者でもない人から大名となり、

子孫は松平姓となり老中まで排出しました。

 

ただ、これは

本人の実力では無いので

今回の記事ネタとしては除外します(苦笑)

 

 

本人の実力で

大いに立身出世した人物としては

根岸鎮衛(しずもり)を挙げます。

 

当然ながらこちらも誰??だと思います

 

浪人であった父が

御家人株を金で買って旗本になります。

 

そしてその父が

別の旗本家根岸家の御家人株を買い、

3男である鎮衛に与えます。

 

大名と旗本を分けるのは

石高が1万石以上か否かですが、

この時の根岸家は

「石」ではなく「150俵」の家柄です。

 

幕府勘定所の役人として

22歳から勤め始めますが、

42歳で勘定吟味役という

勘定所のトップに異例の大出世を遂げます。

 

身分社会の中ですから、

下級役人は50代でも60代でも

下級役人のケースが多い中で、

150俵の役人が

勘定吟味役になるのは大出世です。

 

その後、

彼の運命を変える仕事が訪れます。

 

浅間山の天明大噴火が1783年に起き、

鎮衛はその復興のトップに任じられます。

 

現地に早々に赴き、

被災民たちから話を聞き、

幕府の方針を押し付けるのではなく、

幕府の方を逆に動かして

早く、広く復興を成し遂げた功績から

幕府直轄の重要地、

佐渡奉行となり「200俵」に。

 

そして勘定奉行にまで出世して

ついに石高「500石」に。

 

さらには大岡忠相も就いた

南町奉行にまでなり、

「1000石」の大物旗本にまで

自らの能力だけで出世していきます。

 

 

曾孫の根岸衛奮もまた

南町奉行にまでなると共に、

幕末の動乱期に外国奉行にもなり、

「5000石」の

大身旗本の家柄となります。

 

「浪人の子」の家柄から

1000石への大出世、

しかも4代で2人の

南町奉行を輩出するんですから、

身分社会の中でも

可能性は常にゼロではない事を示す

根岸鎮衛の出世街道です。

 

 

 

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