1.ニャッキ、リスさん

 

これは逆もまた真なりで

ロシアの核戦力も勿論、

ロシアの総動員が怖いので

そこに至らない選択をした為の

NATO側の逐次投入という

悪手連発に繋がっています。

 

NATO側が完全に

ロシアの本気を見誤った

政治選択の結果でしたね

 

今ウクライナの

NATO加盟を躊躇するなら

2022年の時点で

ウクライナのNATO加盟を

躊躇しないような姿勢は

悪手中の悪手でした

 

 

2.YAMAKURIさん

 

これは街中の安全保障でも

ビジネス上の交渉でも

色々な場面において

同様の事が言えますね

 

抑止力をどう持つのか、

身を守る大切な事ですね

 

 

3.a-designさん

 

歴史とは戦争の歴史なくらい

戦争の無い時代、地域は無く、

安全保障こそが

国を街を家族を守るものだからこそ

本気で考え続けた数千年ですので、

政治的経験値、学術的知見ともに深く、

哲学のレベルの世界となりますね~

 

 

4.若みどりさん

 

核兵器は

世界から絶対に消えることは無い

究極の兵器ですね

 

全員で一斉に手放す!!

と決めても、

誰か一人が一発だけでも隠し持てば

その国、組織、人が

世界の王になる兵器ですので、

誰も手放せない兵器となるんですよね

 

徳川に敵対し、

重臣クラスを負傷させ、

そして何のお咎めも無し

 

この本来ならあり得ない裁定は

島津家が見せた

安全保障上の脅威故。

 

これが平和の源流なんですよね

 

 

5.オハラショーコさん

 

鉄砲が伝来したのが種子島なので

島津家は当時の最新兵器の鉄砲を

大量に保有し、

そして経験値も練度も非常に高い

 

その上で、島津義弘を守る為なら

100%の死の作戦も受け入れる

薩摩の兵たち。

 

徳川家康にとっては

現代の核兵器並みの

脅威だったと思います。

 

そしてそれが島津家の生き残りという

安全を保障したんですよね

 

 

6.珊瑚さん

 

徳川家に恭順姿勢を見せて

改易された大名家が多数

 

その中で最後まで

一戦交えるべし!!

の姿勢は崩さなかった島津だけが

結果としてお咎め無し。

 

これが抑止力なんですよね

 

 

7.夕さん

 

「島津義弘とその仲間たち」

という体を最初から取った事で

徳川家としても

妥協する余地がありましたし、

事前の対策から

戦時下での圧倒的武威、

戦後の戦う姿勢、

その全てが抑止力を生み、

島津家の安泰を生みました

 

この姿勢、

今の日本も持っていなければ

直ぐにどこぞの国々の

省やら州に

なってしまいますね(><)

 

 

8.KICKSさん

 

島津家は本当に4兄弟ですが、

毛利家の他の兄弟にとっては

「俺らは??」なんでしょうね(笑)

 

とは言え、

島津4兄弟、毛利3兄弟、

力を合わせて家を繫栄させた

戦国を代表する兄弟ですね(^^)

 

あの時点で島津を攻めていたら、

豊臣家もゴソゴソ動くでしょうし、

仰る通り黒田官兵衛にも

黒き野心が生まれてきたでしょうし、

降伏さえすれば本領安堵、

この決断は大きかったですね

 

 

9.しーchanさん

 

熊本と島津、

切れない関係ですからね

 

単に隣県というだけでなく、

熊本城の鉄壁の防御は

北向きではなく南向きという

誰を念頭に造った城なのか

良く分かる城造りになっていて、

島津家の脅威に接し続けた

熊本なんですよね(笑)

 

 

10.トモカさん

 

そうですね~

島津家が九州の

ほぼ全域を席巻した時も

志賀氏が岡城は守り切りましたね

 

流石天下の堅城ですよね(^^)

 

島津四兄弟の結束の固さ、

そして家臣団の強固さが

島津家の強みですし、

徳川家康の躊躇を生みましたね

 

躊躇を生む抑止力、

その結果、島津家としては

家が守られる平和となり、

抑止力と平和はセットなんですよね

 

 

11.soraさん

 

上皇様の母方のお祖母様が

島津家の方ですもんね

 

この徳川家との対立の折も

九条家が仲介に動いていますし、

やはり名家には

長年の強い横の繋がりも

あったりしますね

 

 

12.Himawariさん

 

平和、平和と

理想論が語られる事が多いですが、

あくまでも抑止力によって

双方が躊躇している状況下での

戦いの無い状況を指す

言葉なんですよね

 

抑止力の重要性、

今も昔も同じとなります

 

 

13.emiemiさん

 

大阪に行く必要も無い中で

わざわざ自分から率先して

自費で駆け付けた兵たちなので

義弘を守る!!

という事に関しての決意は強く、

だからこそこの作戦が

成り立ったんでしょうね

 

その決意で地元で戦われたら・・・

と、家康が考えるのも無理はなく、

島津は家を守り

家康は幕府を築く、

両者の利害が一致しての

暗黙の平和となりました

 

 

 

 

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