日本史や日本経済史に

触れていなければ、

「三越前駅にある三井美術館」

というフレーズは

単なる駅名と施設名にしか

ならないでしょう。

 

そんな三井美術館で

現在開催されている展示は

「三井高利と越後屋」

「三越前」

「三井美術館」

「三井高利」

「越後屋」

これら全ての点は、

一つの線で繋がります。

 

藤原家の分家筋で

近江に移り住んだ三井家。

 

守護大名六角氏の家臣として

代を重ねますが、

織田信長によって六角氏が滅ぼされ、

三井家は伊勢松坂に移り住みます。

 

三井越後守高安は商人となり

戦国期を生き抜き江戸時代へ。

 

この高安の子が「三井高利」であり、

父の官位名越後守にちなみ

「越後屋」を屋号に日本橋に進出。

 

「現銀掛値無し」の商売手法で

大商人になった三井高利と越後屋。

 

浮世絵に描かれる

江戸の情景の1つになる程に

日本橋の店は繁盛します。

 

 

江戸を通じた豪商は

明治を迎えても繫盛し、

明治37(1904)年、

「三井」の「越後屋」で

「三越」に改称します。

 

1932年には三越が出資し、

現在の銀座線「三越前」駅を開業させます。

 

 

これで全てが繋がります。

 

 

江戸時代から変わらず、

日本橋のあの場所にある

「三井の越後屋」、

三越デパートに行きやすいように

駅まで作ったのが「三越前」。

 

そこには「三越」があり、

隣には「三井美術館」の入る「三井本館」、

そして「三井タワー」と並ぶのは

偶然ではなく、

周辺一帯が

三井越後屋だった事に由来します。

 

武士としては

信長に敗れて衰退した三井家。

 

しかし、

日本橋の一等地を徳川時代から、

明治を迎え、

昭和の戦災を超え、

バブル崩壊も超え

平成、令和と続く三井となり、

恐らく全ての旧大名家や旗本家よりも

繁栄しているであろう三井家。

 

その長い三井家と越後屋の歴史を

垣間見る展示でした。

 

 

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