1.ニャッキ、リスさん

 

越後高田藩の家臣筋でしたか~!!

 

高田藩は

それこそ四天王榊原家含めて

色々な家が代わる代わる

藩主となっていますが、

大抵は三河からの譜代大名ですから

ニャッキ、リスさんのご先祖様も

大本は三河武士でしたかね(^^)

 

家を守る、家系を途絶えさせない、

これが重要なんですよね!!

 

〇〇家、と沢山出ましたが、

その殆どは養子によって

家を継いでいますからね

 

 

2.a-designさん

 

本来は史学科に

進みたかったですからね~

 

ただ、受験した史学科の大学は

全て落ちましたが(笑)

 

まぁ、戦国史、太平洋戦争史しか

詳しくなかったですからね(苦笑)

 

井伊直弼、松平定信、水野忠邦など

小学校の教科書でも出てくる

大老や老中たちの背景にも

深~い伏線があるんですよね~

 

それが歴史の面白さですね(^^)

 

 

3.若みどりさん

 

牧野家は松平家臣団に入る前から

三河に勢力を持つ一族でしたし、

関東入府と共に万石領有でしたから

二十四将に入っても良いんですけどね~

 

長岡藩系牧野家からは

3名の老中が出ていますし、

江戸期の徳川家を支えた

重要な家柄でしたね(^^)

 

 

4.夕さん

 

武闘派と文治派、

これは秀吉政権でも

問題になりましたもんね~

 

戦場で頑張ってきた

加藤清正や福島正則が

天下統一後に重用された

石田三成の事が嫌い・・・という

この対立は

武家政権においては避けられませんね

 

榊原康政の不満も正論ですし、

日本全国を統治する上では

槍働き時代は後方にいただけの

文治派の官僚としての能力が

必要不可欠になりますからね(苦笑)

 

両方で重用された井伊家は

凄いってことですね~

 

 

5.izukuuさん

 

教科書的読み物、

時代小説や史実系時代劇などで

名前が出てくる有名老中や

「〇〇殿」で使われる家名、

こういった流れで

江戸時代の中枢に登り詰めました。

 

二十四将として

戦国期徳川家を支えたものの

江戸時代は老中になれなかった家系、

他家の家臣団から

大出世を遂げて老中を出す家系へ、

家の歴を紐解いていくと

結構楽しいんですよね(^^)

 

 

6.トモカさん

 

豊臣政権でも

戦場で槍働きをした

加藤清正や福島正則が、

戦場では後方にいたのに

天下平定後はトップ官僚となった

石田三成など文治派の事を嫌った

文武の対立は

政権樹立過程においては

避けられないんですよね(苦笑)

 

それは江戸幕府も同様でしたが、

戦国期徳川家を支えた家と

江戸期徳川家を支えた家、

上手く分ける事が出来たことが

260年の政権に

繋がったんでしょうね~

 

 

7.raydentalさん

 

松平定信、水野忠邦、井伊直弼など

ここら辺は中学受験でも

必須の人物名ですもんね(笑)

 

戦国徳川家、

江戸時代の徳川家を支えた

人物たち、家系たちでした(^^)

 

 

8.むうさん

 

読めば読むほどに

理解が進んで、

知識が成熟していくと思います(笑)

 

こういうのは一度読んでも

一気には入りませんもんね(^^)

 

いつから始めても効果があるのが

筋トレと勉強と「信長の野望」です(笑)

 

広忠は幼かったですが、

必要の無い人材であれば、

阿部定吉は排除されていたでしょうから

阿部氏そのものが

今後の松平家の成長には必要な

能力と勢力を持つ一族だったんでしょうね

 

先日の記事にも繋がりますが、

単純に個人単体で家臣になる訳ではなく

一定の領域を占有する勢力として

臣従しているに過ぎませんので

 

 

9.珊瑚さん

 

江戸時代には、

珊瑚さんのような方向けの

ポケットあんちょこが

しっかりと販売されていて、

家紋、家柄、当主の名、石高、藩の場所

網羅的に記した本を読んで、

実技テスト対策をしていました(笑)

 

それを知らずに

下っ端でも幕府の役人は出来ませんし、

商人なら売り込む時の営業トークの

ベースになる情報になりますからね

 

 

10.フジ坊さん

 

いえいえ、

やはり本などを見ながら

間違いが無いかは

確認しながら書きました(笑)

 

記事で出した以上、

老中の数など

間違っていたら大変ですからね

 

改めて調べて、

新たに発見した事もありますし

書いていて楽しい記事でした(^^)

 

豊臣政権でも

武断派の加藤清正、福島正則と

文治派の石田三成などが

対立していますし、

ここら辺の対立は

政権樹立過程においては

仕方ないんでしょうね

 

 

11.しーchanさん

 

老中職を得るために

まぁ、裏金を渡したり、

権力を持つ家から養子を迎えたりと

八方手を尽くしたエピソードは

結構ありますね(笑)

 

小さな国の国家予算並みの

裏金を積まないと、

相当な家柄でなければ

老中にはなれないようですね(苦笑)

 

 

12.月うさぎさん

 

徳川家臣団と言えば

基本四天王が有名ですからね

 

七本槍と言えば豊臣

 

十勇士と言えば真田

 

二十四将と言えば武田

 

となるが一般的ですね(笑)

 

軍事政権が樹立する過程では

武断派の活躍は必須なのですが、

そこから先、

統治の段階となると

官僚的能力を持つ人材の方が

必要とされますので、

この両者の対立は

どの軍事政権でも起きますね~

 

加藤清正、福島正則と

石田三成の対立からの

豊臣家の崩壊も有名ですね

 

家康は自身が多くの家臣よりも

長生き出来たために、

武力重視の時代から

官僚能力重視の時代に

幕府を移行させる事に成功しましたね

 

 

13.Himawariさん

 

リーダーは重要ですが、

リーダーはあくまでもリーダーという役

 

有能な周囲を固める人材が居て

はじめて事が成せますね

 

江戸幕府260年の歴史を

人材の面で俯瞰してみると

家柄に特徴もあり、

面白いなぁと思います(^^)

 

 

14.KICKSさん

 

KICKSさんからのコメント

楽しみにしていました(^^)

 

昨年、広島、福岡に向かった際、

福山城は立派だなぁ~と

やはり思いました

 

池田氏も準一門として

西国への抑えとされましたが、

阿部氏に至っては三河、

しかも家康より前の代からの

譜代中の譜代の家臣ですから

安全装置に対する予備装置、

という事ですかね(笑)

 

四天王でも十六神将でもなく

二十四将の系譜ですらない

阿部氏が一番多く

老中を出しているって意外ですよね

 

まさに、武闘派と官僚の違い、

という事ですね

 

そして、

それに対する番頭さんの憤慨

 

これを抑え込めたのが

徳川家260年の成功の秘訣でしたね

 

 

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