日本の戦国史を巡る

日本人の誤解があります。

 

それは大きく2つ。

 

 

1つは「忠義」に関するもの。

 

江戸時代の

 

将軍―藩主―家臣―使用人

 

のような儒教的な

縦型の身分制度の中にあった、

下の者は絶対的に

上の者に忠義を尽くすべき、

という思考が

戦国時代にもあったと考えがちな所。

 

 

戦国時代は下剋上の時代ですし、

無能な主君の下では

自らの立身出世は望めない以上に、

自分たちの

命、土地をも危うくしますから、

自ら取って代わる事も正義の形でしたし、

ダメ主君を排除して

良い主君を据える事も

忠義の一形態となっていました。

 

斎藤道三も松永久秀も

褒められた存在ではないにせよ、

戦国期を代表する形の武将でしたし、

明智光秀の本能寺の変も、

不忠の極みなのではなく、

戦国期の雇用形態の結果でした。

 

 

2つ目は「領土」に関するもの。

 

「尾張の織田家」

「甲斐の武田家」

などのように表現される事が多いので、

尾張全域、甲斐全域を

織田家や武田家が

支配しているように思われがちですが、

「徳川幕府」とはいいつつ

徳川家の直轄領は全国に400万石。

 

加賀前田100万石、

薩摩島津73万石、

仙台伊達62万石など、

徳川家に臣従するものの、

徳川家が支配できない

巨大な領域を持つ大大名は

多く存在しました。

 

それは尾張一国時代の織田家も

甲斐一国時代の武田家も同様で、

国内の豪族、国衆、土豪勢力を

従えてはいるものの、

彼らの領土の独立性と安全を

保証する代わりに、

自らの勢力に入ってもらう。

 

それが明治になるまでの

主君と家臣の

多くの場合の関係性でした。

 

その独立性や安全を

担保できないとなれば、

臣従する価値が無くなり、

離反する事は不忠なのではなく、

主君の落ち度となりました。

 

 

その「忠義」と「領土」に関する

意識の違いを端的に示す言葉が

「一所懸命」「一生懸命」です。

 

「懸命(命を懸けて)に頑張る」

事を指しますが、

前者は主君から保証された

自らの本領=一所を

命がけで守る事であり、

後者は懸命に一生頑張る事を指します。

 

鎌倉幕府のシステム

「御恩と奉公」は

小学校の歴史で習う内容ですが、

鎌倉幕府は

御家人たちに領土を与え、保証し、

その「一所」を与えた「御恩」の代わりに、

鎌倉幕府への忠義=奉公を求めました。

 

完全なる上下関係の中での、

無条件かつ永続的な

忠義を求めているものでは無く、

頑張るため、忠義を尽くす為の母体は、

幕府から保証された

自分たちの土地でした。

 

それが「一所懸命」という言葉です。

 

 

しかし、

江戸期になると、

家臣は大名に対して

絶対的、無条件かつ永続的な

忠義が求められ、

大名は徳川将軍に対して

同様の忠義が求められました。

 

懸命の母体が土地ではなくなる中で、

懸命に尽くす期間が

無条件な一生に変わり

「一生懸命」になると共に、

土地を由来としない事で、

土地を持たない

一般庶民たちの頑張りに対しても

「一生懸命」が普及して行きました。

 

 

この現代に繋がる

「一生懸命」時代の価値観で

戦国時代を見てしまうので、

彼らの「一所懸命」の

行動原則や社会システムを

誤解してしまう事があるんですよね。

 

 

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