真田家というと、

関ケ原の折に

兄妹を東西に分けて

生き残りを図ったと言われますが、

その萌芽は豊臣時代からありました。

 

1590年の

秀吉の北条攻めの後の仕置きにおいて、

徳川家康には

関東ほぼ全域が与えられます。

 

その時、

大大名徳川家に対する

秀吉の遠慮もあるのか

真田家は豊臣家に臣従していますが、

真田領だった群馬県沼田市周辺は

真田領ながら徳川家に臣従する形となり、

その当主が三代目世代の兄

大河ドラマでは大泉洋さんが演じた

「真田信之」です。

 

そして

上田城周辺から群馬県吾妻郡あたりが

父真田昌幸の本領となり、

そこを将来継ぐ者として

堺雅人さん演じた弟「真田信繁」

豊臣家に出仕していました。

 

つまり、この時点で真田家は

豊臣家に臣従する本領真田家と

徳川家に臣従する沼田真田家と

ゆる~く2つに分かれました。

 

それぞれが正式に

朝廷から官位を与えられており、

ただの大名家の次男ならば

その扱いは受けられませんので、

真田信繁は上田領を継ぐ

大名候補だったんですよね。

 

だからこそ、

1600年の関ヶ原合戦の折、

父と弟は西軍に付き、

兄は東軍に付きました。

 

第二次上田合戦では

昌幸・信繁の真田家2000の兵で

徳川秀忠率いる38000を破り、

徳川に連勝しますが、

西軍が敗れたために

紀州九度山幽閉の身となります。

 

歴史の中での決断、

真田昌幸は最後で誤りますが、

信之が東軍に付いた事で

歴史の表舞台に真田は残りました。

 

 

大阪の陣に関する研究において、

かつて

 

「幸村は有名なだけで、

大名の次男で

大阪方に付いた武将は沢山いるから、

その他一同と同列であり、

大阪方主要武将の

5人衆などと評するのは間違い」

 

なんて書かれたりもしましたが、

先述した通り、

信繁は単なる次男では無く、

大名候補で

正式な官位を持つ武将だったため、

大坂の陣の折の発言力も大きかったと、

現在では歴史評も変わっています。

 

私の先祖は、

この信繁の次男で

仙台藩に匿われた守信に

繋がるとか繋がらないとか。

 

歴史の表舞台から消えた信繁が、

最後に大輪の花を咲かせる決断として

大阪方で参陣した決断は、

命は犠牲にしましたが

正しかったのだろうと思います。

 

「真田」の名を、

以降400年以上、

これ以上ないインフレ状態なまでに

高めましたからね。

 

 

一方、

兄の真田信之ですが、

松代藩13万石の大名にまでなり、

93歳という長寿に恵まれ、

武田信玄を知りながらも

4代将軍家綱にも仕えるという

歴史の生き字引となります。

 

しかし、だからこそ、

長男、嫡孫、次男に先立たれます。

 

その結果、

次男の6男という

「真田三代」で言えば5世代目の孫に

家督を譲る事になります。

 

しかし、それに対して

同じく5世代目の

長男の次男が異を唱え、

幕府中を巻き込む

お家騒動となってしまいます。

 

この長男の次男が「真田信利」

家督を譲られた

次男の6男が「真田幸道」です。

 

真田家(赤は記事中の人物)

幸綱昌幸信之ー信吉ー信利

        ー信政ー信就(旗本)

           ー幸道

     ー信繁ー幸昌(大阪城で自刃)

        ー守信(我が家の先祖??)

  ー信尹(大身旗本)

 

 

幕府の裁定は

幸道の本家家督継承で落ち着きますが、

同時に信利には沼田領3万石で

独立させるというものでした。

 

これにて一件落着・・・

 

とはならず、

異を唱えて3万石の大名に

なることに成功した

真田信利ですが、

「本来なら13万石を継承したはず」

の恨みは消えず、

「3万石」に対して

「14万4千石」との

届けを幕府に提出し、

本家の松代藩10万石を超える大名家に

「見えるように」します。

 

幕府からの役務は、

届け出石高に応じて課されますので、

実際には無いお金を工面して

幕府の役務をこなす事になります。

 

その為、藩主の

プライドと恨み、取り繕いの為に

高税率を領民に課すようになります。

 

当然、

信利から幸道への恨みは、

領民から信利への恨みを

生むだけとなり、

大規模一揆が発生、

所領も管理できないと

沼田藩真田家は

改易、お取り潰しとなります。

 

その子の代で

旗本には返り咲きますが、

結局その旧沼田藩系旗本真田家も

不行跡の為の改易追放になるなど、

歴史の「正解」を

選び続けて来た真田家ですが、

こちらの真田家は

不正解を引き続けたようです。

 

松代藩真田本家の方は、

幕末には老中を出す家柄にもなり、

江戸時代を完走し、

明治期には伯爵になる家として

現在に繋がっています。

 

当主の決断の重要性ですね

 

 

 

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