人生とは選択の連続です。

 

特に歴史の激流の中に

身を置いた時、

その選択1つで

自分自身を、一族を滅ぼしたり、

逆に栄誉に預かったりします。

 

 

私はかなりの妄想マニア。

 

しかもかなりリアルにこだわる

妄想家ですので、

その妄想に必要な情報は

かなり丹念に調べ上げます。

 

そしてそんな妄想の中に、

 

「私がもし戦国時代を生きたら」

 

というものもあります。

 

そんな妄想の中で、

頑張って天下を狙う為には

どう行動し、何を選択するのか、

というものもありますが、

かなり楽に大名になる為には、

という妄想もあり、

そのためには

 

「織田家に仕官」

「秀吉と友達になる」

「山崎の戦は秀吉に味方」

「賤ヶ岳の戦いは秀吉に味方」

「関ケ原は東軍に味方」

 

となるでしょう。

 

特段の功績無くとも、

この選択をしていれば

5万石ほどの大名には

なれたのではないでしょうか。

 

歴史の結果を

知っているからこその選択ですが、

その後大名になった家の多くが

この選択をしています。

 

 

さて、

タイトルの人物、

知ってる!!という方があれば

相当かつ相当な歴史マニアです(笑)

 

六郷政乗(ろくごう・まさのり)は

戦国時代の秋田県由利郡の武将です。

 

戦国史が輝いた畿内からは遠く、

伊達政宗が活躍した

南東北より遠い北東北秋田に住み、

そして戦国時代に活躍するには

生まれが「10年遅かった」と言われた

伊達政宗と同い年、

さらに由利郡の小大名小野寺家の

配下の武将ですので、

戦国史の中で活躍する余地は小さく、

歴史に埋もれてもおかしくない武将です。

 

事実、歴史番組や歴史ドラマで

彼の名が出た事はほぼ無く、

戦国史の中で

扱いが軽めの武将ではあります。

 

 

1590年、23歳の時、

小田原遠征があり、

彼は秀吉方として参陣。

 

所領を減らされながらも

由利郡を安堵され4500石。

 

文禄の役では名護屋城に在陣。

 

1600年、33歳の時の

関ヶ原の戦いは東軍に付き、

西軍に付いた小野寺家を攻撃。

 

この功績で1万石の大名となり、

1615年の大坂の陣にも出陣して

由利郡本荘藩2万石の大名となります。

 

この本荘藩は

2万石のまま幕末を迎えますから、

超マイナー「武将」ですが、

戦国時代にあった選択肢で

正解を全て引き当て

子孫を繁栄させた武将であり、

自身も正式に「大名」に昇進します。

 

江戸時代に改易になった大名家も

多くある中で幕末まで残り、

幕末の藩主も、

幕府方の奥羽越列藩同盟に参加するも

即脱退し新政府側につき、

明治政府の下で

子爵、貴族院議員となっていきます。

 

六郷家を見ていると、

歴史の中でいかに生き残るか、

私の妄想も

さらにリアルに掻き立てられます

 

 

 

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