1.ニャッキ、リスさん
商人や農民であっても
戦乱に巻き込まれれば
死と隣り合わせの時代、
ましてや名門でも下級でも
武士階級であれば
生きるか死ぬかの世界ですから
歴史として読むには面白いですが、
生きるには大変な
時代だったでしょうね~
2.Maryさん
伊東と言っても
全員がこの伊東氏の出身とは
限りませんが、
鎌倉から続く名門の伊東家は
明治まで家名を繋ぐことが出来ました
昨日の記事が
鎌倉時代も生き残れなかった
名門の家たちですので、
凄い差ですよね
3.a-designさん
歴史は人物にスポットを当てると
途端に面白くなるのですが、
授業では
年号、年号、また年号・・・
となりますもんね(苦笑)
源氏嫡流も昨日の名門13家も
その大半が鎌倉時代さえも
生き抜けなかった中で、
仇討された方の家柄ですが、
大名家として2家が明治まで残り、
連合艦隊司令長官まで
排出する家柄になるんですから
家名を繋ぐ事の大変さと
大切さですね~
4.減災ぴこさん
有名な仇討話の相手方ですが、
そこから1000年以上、
しっかりと名を繋ぎ、
戦国大名から没落しても
江戸幕府の大名家に返り咲き、
明治まで家名を繋ぐんですから
凄いですよね~
5.izukuuさん
矜持とプライド、
まさにそういう事でしょうね~
鎌倉からの名門家が
つい20年前までは百姓だった男に
頭を下げることは
この当時は更に難しかったはずですが、
それが出来たが為に、
鎌倉からの名門の血脈は途絶えず、
明治まで大名家として続きますからね
6.珊瑚さん
大河でも登場した有名な仇討の相手方、
そこで物語は終わらず、
地頭御家人として九州で名を残し、
大名として台頭し戦国乱世へ。
そこから没落するも
秀吉に頭を下げることで
大名家として返り咲き明治まで。
遣欧少年使節団にも
連合艦隊司令長官にも
一族の名を残しますから
超有名な家では無いですが、
しぶとく生き残りましたよね~
7.トモカさん
鎌倉からの名門の大名家として
島津と渡り合ってきたものの
数年前まで百姓だった男に
頭を下げるまでに。
これが出来た事が
伊東家の命運を変えましたね。
もう一方の伊東家も、
さらに活躍するより以前の秀吉の
配下に組み込まれる屈辱も
それが出来たからこそ
小大名にせよ、
明治まで代を重ねましたからね
家を残すサバイバル術、
非常に長けた一族ですね
8.emiemiさん
日向一国を領有した
鎌倉からの名門家
その数年後に
百姓出身の男に頭を下げて
500石の下級武士に
秀吉が天下を取った後なら
まだ分かりますが、
その前の段階ですからね
これが出来た事が
名門家を名門家のまま
明治まで保たせましたね~
9.しーchanさん
曾我兄弟も工藤一族なのですが、
まぁ、色々あって曽我氏に。
そして仇討を果たしますが、
そんな仇討の相手の家、
そこで歴史は終わらず
鎌倉時代を地頭として生き抜き、
室町時代を守護代として生き、
戦国時代は大名となり、
一旦没落するも
江戸時代には藩主に返り咲く。
凄い歴史ですよね~
10.KICKSさん
天下人に頭を下げるなら
まだ出来たかもしれませんが、
まだまだ何者とも言えない
家康にひれ伏せた氏真。
大名家にはなれないまでも
高家として残りますからね
それはまだまだ織田家臣の
秀吉にひれ伏せた伊東家も同様
北条家は消え、
足利家は消え、
多くの御家人、戦国大名家が
どんどん消えて行く中で
大名、高家で名を残せた
「敗者たち」は
結局「勝者」でしたね
11.曙こまちさん
旦那様のルーツとなる伊東さんは
この伊東家にまで繋がると
さらに興味深いですね(^^)
鎌倉初期の仇討で滅びず、
島津に負けた戦国期にも滅びず、
明治期に連合艦隊司令長官まで
排出する一族として残り、
凄いですよね~
12.Himawariさん
今現在の栄光が
未来永劫のケースは極稀で、
大半は栄枯盛衰の道を
辿っていきますし、
そのスピードがどれくらいなのか
自分の行動次第ですから
過去の多くの栄枯盛衰から
学んでいきたいですね
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