諸行無常、栄枯盛衰を説く

「平家物語」ですが、

その平家の栄枯盛衰を実現させた

源氏が作った鎌倉幕府もまた、

諸行無常と栄枯盛衰を

体現した政権となりました。

 

ヤクザ映画でも

こんなに血で血を洗うか??

くらい血生臭い時代です。

 

 

1185年に

有名な壇之浦の戦いがあり、

平家が滅亡に至ります。

 

その壇ノ浦の戦いを率いたのは

源義経と源範頼兄弟です。

 

義経はその後頼朝と対立し

1189年に自刃に追い込まれ、

源範頼

1193年に粛清されています。

 

源頼朝政権に

脅威を及ぼす可能性のある人物は

排除されました。

 

しかし、

その頼朝の一族も、

頼朝の子で3代将軍の実朝が暗殺され、

その実行者である

頼朝の孫の公暁も同時に討たれた為、

1219年に源氏嫡流が滅びます。

 

平家滅亡から34年の天下でした。

 

 

その後は北条氏が

鎌倉幕府の実権を握り続けますが、

その北条氏が作り上げた

「十三人の合議制」

メンバーの末路もまた血生臭いです。

 

梶原景時

1200年に「梶原景時の変」で

一族と共に滅亡。

 

比企能員

1203年に「比企能員の変」で

一族と共に滅亡。

 

和田義盛

1213年「和田合戦」で

一族と共に滅亡。

 

北条氏と実権を巡り争い、

13人中3人は当代の内に

一族と共に滅亡しています。

 

三浦義澄

子の義村が

梶原氏や和田氏滅亡に貢献するも、

1247年宝治合戦で

北条氏によって一族滅亡。

 

戦国初期に分家筋が

三浦家を再興するものの、

やはり「北条」を名乗る

北条早雲によって滅亡させられます。

 

安達盛長&足立遠元

共に「あだち」で同族とされ、

一族は北条氏と姻戚関係を結び

三浦氏も滅ぼし繫栄するも、

1285年の霜月騒動で

安達氏・足立氏ともに一族の多くが滅びる。

 

安達氏庶流が再興するも

鎌倉幕府の滅亡と共に滅亡。

 

北条時政・義時

鎌倉幕府の最高権力者を

継承する家柄となるも

鎌倉幕府の滅亡、中先代の乱を経て

一族滅亡。

 

1199年から1353年まで

154年の栄光はあれど、

家名を残せませんでした。

 

皆、権力掌握に向けて

他家、他者を滅亡に追い込むも、

結局自分たちも滅亡させられました。

 

八田知家

子の代から小田氏を称し、

戦国期には「戦国最弱の武将」

と呼ばれる小田氏治が出る。

 

大名家、武士としては残れず、

江戸時代を迎える。

 

他に公家出身の

大江氏、中原氏、二階堂氏、三善氏が

「十三人の合議制」に名を連ねますが、

やはり出自の違いが影響するのか、

こちらの4家は後まで名前が残ります。

 

中原親能の家系は

戦国大名大友宗麟に繋がり、

江戸幕府高家として明治まで残ります。

 

中原親能の弟、大江広元の家系は

戦国代表毛利元就に繋がり、

毛利家が名前に「元」を使うのは

大江広元の「元」に由来します。

 

三善康信

幕府問注所執事となりますが、

名字も「問注所」となり、

大友家家臣立花宗茂に仕え、

柳河藩士として江戸時代を生き抜きます。

 

二階堂行政

福島県須賀川二階堂氏という

戦国大名家に繋がりますが、

こちらは戦国乱世の中で

滅亡してしまいます。

 

 

平氏が滅亡したものの、

源氏もまた34年で滅び、

その源氏を抑え込むために

「十三人の合議制」を

作り上げた面々も、

一代で3名が滅亡し、

武士出身9名の家の内、

8名の家が鎌倉時代に滅亡。

 

権力欲が

血で血を洗う抗争に繋がり、

結局皆が滅んでいく。

 

今現在の栄光なんて

100年後の栄光とは限らない

まさに栄枯盛衰を感じさせる

彼ら一族の顛末です。

 

 

 

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