人が心穏やかに過ごす上で、

「自己評価」「他者評価」の

両者が安定的に高い事は案外重要です。

 

職場であれ、学校であれ、

遊びの場であれ、

「心地の良い場所」と感じる場所は、

この両者が高い場所となります。

 

それは給料や偏差値などに関係なく、

「ここに居たい」

と思う動機付けには

この両者の存在が重要となります。

 

他者評価が高くなれば、

当然自己評価も上がってきますし、

その逆もまた同様で、

この2つは連動しているとも言えます。

 

 

その「他者評価」ですが、

それは絶対値ではなく、

個人の感想や相性によって

大きく左右するのですが、

それでも、それによって

「自己評価」の方も

大きく影響を受けてしまいます。

 

 

「他者評価」が

絶対値では無い例が、

私の大学受験でありました。

 

私の大学受験の戦績は2勝6敗。

 

6連敗からの2勝となりますが、

その6連敗、私が進んだ横国よりも

偏差値としては

下の大学が多くなります。

 

 

そしてそれ以上の典型例が

大学院受験でした。

 

某大学大学院の教授は面接時に

 

「こんな下らない論文を

読まされる身にもなってくれよ!!」

 

と私の論文を手で叩き、

それをテーブルに叩きつけながら

終始ご立腹。

 

最初から不合格は

決まっていたのでしょう。

 

私が発言する機会はなく、

教授からの罵詈雑言と

他の教授たちへの嘲笑の同調で

面接は終わります。

 

その大学から、

偏差値としては倍程高い東大大学院では、

その同じ論文が

「この論文面白いね~」と

評価され合格します。

 

世の中そんなもんです(笑)

 

「下らない論文」しか書けない私の、

東大時代に書いていた論文も、

テレビのコメンテーターで出演すると

低くて渋い声で話すある教授が、

テンションも声も高く

早口で高評価をしてくれて、

そのテレビの中とのギャップも含め、

私のテンションも上がりました(笑)

 

 

某大学の受験で落ち込んで止めていたら、

 

「私はろくな論文も書けないダメな人間だ、

大学院なんて行くのよそう」

 

となっていたでしょう。

 

ただ私の場合は、運が良い事に、

捨てる神が居たのが偏差値の低い大学、

拾う神は東大、

という形となりました。

 

1か所、2か所で

低評価だったからと言って、

それが「自己評価」まで

下げなければいけない

絶対的「他者評価」ではないんですよね。

 

どこで花咲くのかは、

どこで種を蒔いたかによります。

 

パイナップルやマンゴーなら

北海道では美味しく完熟しませんからね。

 

 

そんな折角高評価はして頂いた

東大大学院ですが、

修士、博士と進んだものの、

退学しちゃいます。

 

最初から博士課程を

終わらせるつもりは無く、

論文も書いてなかったですしね(笑)

 

私よりも遥かに優秀な方々が、

東大大学院を出ても大学で職を得られず、

地方の学芸員などで

苦労されているのを見て、

大学院はどんどん増やすのに、

大学院を出た人向けの職は増やさない

日本の大学システムに失望し、

少ない席を巡るパワハラが日常な

「他者評価」の世界で

生きることは馬鹿らしいと、

投資一本に絞ります。

 

その後も東大自体は

楽しいので通ってましたが(笑)

 

 

投資は完全に

「自己評価」だけの世界ですので、

生きるのが楽なんですよね~

 

 

 

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