インターネットも発達した世の中、

あらゆる情報が溢れています。

 

そんな時代だからこそ、

求められるのはメディアリテラシーです。

 

情報を読み解く力、分析する力です。

 

 

例えば、

学校の教室での出来事について、

夏子からこんな報告が上がるとします。

 

教室に行ったら、

太郎が春子を泣かせた上で

次郎を殴ってた。

 

その報告を受けて教師は、

太郎を問い質し、

誰も何も答えないので、

太郎を叱責します。

 

 

20世紀初頭の偉大なメディア論者

ウォルター・リップマンは

『世論』という著作の中で、

報道には

 

現場

現場を見た人間

その報告を受けた人の感情

 

と3つの要素があると述べます。

 

これが報道において、

現場と記事と読者のズレを生じさせます。

 

 

先の教室の例でも同様です。

 

教室の現場の事実に対して、

夏子の主観による感想と報告があり、

その上で教師の判断

という3つの段階があります。

 

仮に事実が、

少々後ろめたい事で

春子は次郎に脅され、

その上で次郎が春子を泣かせたので、

太郎が春子をかばい、

次郎と殴ったとしましょう。

 

この殴った瞬間を

目撃したのが夏子です。

 

彼女は

「教室に行ったら」

と述べていますので、

教室にずっと居た訳では無く、

どこから目撃し、

どこまでが推測なのか

教師は確認が必要でした。

 

誰も答えなかったのは、

教師が太郎を主犯と決めているので、

次郎には真相を言う必要が無い。

春子は泣いていた原因を

隠したいので黙秘。

太郎は教師への反発から黙秘。

 

そして真相は闇に消え、

暴れん坊の太郎が

春子と次郎に乱暴した、

で決着してしまいました。

 

 

メディアには

真実を伝える法的義務はなく、

彼らにはあくまでも彼らなりの

主張をする権利があるだけです。

 

それは個人の動画配信もSNSも同様。

 

となれば、

情報の受け手側にこそ、

事実と主張を

見極める力が求められます。

 

テレビであれ、

新聞、雑誌、個人のSNSであれ、

情報発信者は巧妙に夏子を演じます。

 

1の事実をベースに

9の個人的見解を加えて、

「これが真相」として発信します。

 

テレビのニュースでも、

なんならバラエティでも良いですが、

 

これ事実、これ仮定、

これ推測、これ個人的意見

 

示しながら観ていくと、

どこで事実から

意見や願望へと変わっていくのか、

そのパターンが見えて来ます。

 

近年多用される

「報道しない自由」の場合は、

まず真相を見る事が出来ませんが、

最近多いのが

「賛成の声の中にも、

否定的な声も聞かれました」

という筆者の意見を後半に含ませ、

見出しも活用しつつ

客観的を装いながら

自分の意見の方に誘導していく報道。

 

また、自分の主張に近い

個人的意見だけを次々と取り上げ、

客観報道を装い

自分の意見の補完にだけ使う報道。

 

かなり分かりやすい誘導なのですが、

それでもメディアリテラシーが低いと、

どうしても個人的意見を

真実と信じてしまいます。

 

 

事実と推測と意見の違い、

情報が溢れる時代だからこそ、

それを見極める術を持っていないと、

政治的ニュースでも、

社会論でも、ゴシップ系記事でも、

企業の広告宣伝でも、

簡単に騙され、常に情報弱者として

損をする身になってしまいます。

 

 

 

■ 講演 ■ 
「偏差値30の東大生」
何故偏差値30のLAの不良は
東大大学院まで進めたのか

講演料:50,000円+交通費
90分を超える場合は要相談

 

講演お問い合わせはこちらから

 

大人の社会科授業
授業内容:

①「勉強の仕方」

②「安全保障論」

③「プロパガンダと広告」

④「経済学って面白い」


費用:お一人 5,000円
(飲食代別)

お申し込み方法など
詳しくはこちらの記事をご覧ください

 

ポストお問合せはこちらからポスト

 

取材、出演、執筆依頼 コンサルティング相談など

 

ペタしてね