かつて「歴史」と言えば、

「History」=「His Story」

と言われたりして、

個人である英雄たちの物語、

英雄譚を中心に展開されてきました。

 

なお、His Storyは

語源として間違っていますので、

一種のジョークに過ぎません。

 

 

しかし、近年様々な歴史の調査が

行われるようになり、

歴史を紐解くカギとして、

「鉱物」や「気候」が注目されています。

 

信長が大量に鉄砲を動員した

長篠の戦いでは、

タイの鉱山から掘られた

鉛玉が使われました。

 

また、日本を征服しようと試みた

元にせよスペインにせよ、

彼らが欲したのは領土では無く、

日本の金や銀でした。

 

さらに、

鉄鉱石のある土地に

強力な古代文明が誕生し、

彼らは鉄を作る事で

馬を操る事を可能にし、

飛躍的に移動距離が延び、

さらなる鉄鉱石を求めて

遊牧騎馬民族が東へ東へと領域を広げ、

鉄がアジアへと

伝わるきっかけとなりました。

 

鉱物を見ずして歴史の発展は語れない、

とも言えます。

 

 

一方の気象ですが、

昨日の記事では

日本史の節目において

天気の気まぐれが歴史を変えて来た

と書きましたが、

それは世界史もまた同様です。

 

 

ヨーロッパでは、

紀元前300年頃から

温暖な地中海性気候が北方へと広がり、

温暖・寒冷の境界線が

現在のドイツ北部辺りまで北上します。

 

その結果、

耕作地が北へ北へと伸びていき、

それと共に領土も北方へ拡大、

ローマ帝国の全盛期が始まります。

 

それは同時にゲルマン民族との

戦いを意味しますが、

集団戦を得意とするローマ軍に対し、

個人の勇敢さを基本とし、

内部で群雄割拠していた

ゲルマン民族諸勢力は

統制の取れた戦いが出来ず、

北へと押しやられていました。

 

カエサル、

『テルマエ・ロマエ』のハドリアヌス、

『グラディエーター』などの時代です。

 

 

しかし、この温暖な気候は

紀元300年ごろから南下をはじめ、

紀元500年頃には

アフリカ北岸あたりまで南下し、

ヨーロッパは寒冷期に入ります。

 

全ての道がローマに通じ、

収穫された物資を輸送し

繁栄を謳歌したローマ帝国ですが、

北方で不作が相次ぎます。

 

それはゲルマン民族の土地もまた同様。

 

するとゲルマン民族の南下、

大移動が始まり、

ローマ帝国を脅かすようになり、

結果として西ローマ帝国の滅亡へと

繋がっていきます。

 

西ローマ帝国の滅亡に関して、

直接的原因は

ゲルマン民族の侵入ですが、

その遠因として寒冷化があることは、

最近ではよく聞かれるようになりました。

 

 

この気候変動の波は

アジアも同様で、

古墳時代(3世紀~7世紀)にかけて

日本にも「古墳寒冷期」と呼ばれる

時代が来ます。

 

日本ではあまり大きな

政治的影響はありませんでしたが、

中国ではこの時期、

ヨーロッパと同様に

北方騎馬民族の南下が始まります。

 

五胡十六国時代と呼ばれる時代です。

 

北方騎馬民族の南下に

三国志時代の後を継いでいた

司馬懿の一族が治める晋は

抗しきれず滅亡、

ここから北方騎馬民族による

群雄割拠の時代となります。

 

 

図らずもヨーロッパとアジアにおいて、

同時期に北方民族が南下し、

それまでの帝国・王朝を破るという

現象が起きています。

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