ナゴルノ・カラバフで

戦端が切られました。

 

こう書いて、

「そうか~あそこで!!」

と直ぐに場所も背景も分かる人は、

日本では極々少数派だと思います。

 

私のブログでは今年7月にも

戦闘が開始された

アルメニアとアゼルバイジャンの

対立について記事にしていますが、

両国間で再び戦闘が激化しています。

 

 

両国に

憲法9条があれば戦争をしないのか。

武器が無ければ戦闘が起きないのか。

 

答えは明確にノーです。

 

彼らは共に自衛のために戦い、

銃が無ければ

先日インドと中国軍が

カシミール地方で衝突したように、

石やこん棒を持ってでも戦うでしょう。

 

独裁者が居るから。

好戦家が居るから。

武器があるから、

戦う訳では無く、

複雑に入り組んだ

民族構成、歴史、文化が

自然の火種となっていきます。

 

 

ナゴルノ・カラバフ地方は

アゼルバイジャンに属します。

 

しかし、アルメニア人が

多数派の地域でもあります。

 

両国が存在しなかった頃から、

民族混在地域だったという事です。

 

歴史的に

ペルシャ、オスマントルコ、ロシアと

大国に囲まれたカフカス地域の小国に

現在に続く火種が落とされたのは

ソ連時代。

 

1921年、今から100年程前、

赤化され

ソ連邦に組み込まれた両国に対し、

アルメニア人が多く住む同地域をソ連は

「アルメニア側」

のものにする決定をします。

 

しかし、

アゼルバイジャン側の強い反発により、

翌日には

「アゼルバイジャン側」

のものにする朝令暮改をし、

1923年にナゴルノ・カラバフ自治州を

アゼルバイジャン領内に作る形で

決着させます。

 

それでもアルメニア側の反発は大きく、

その後も度々問題化はしていましたが、

本格的な軍事衝突となるのは

ソ連の力が弱まった80年代後半から。

 

そして両国独立後は

断続的に戦闘に発展していますが、

「侵略」の意図よりは

「自衛」の意識の方が高いでしょう。

 

 

アルメニアは

紀元前の頃からアルメニア王国を持ち、

インドヨーロッパ語族に属する

アルメニア語を使う

比較的白人に近い住民が住み、

ローマ帝国より早くキリスト教化した後は

アルメニア正教の国となります。

 

一方のアゼルバイジャンは

トルコから

中央アジア、モンゴルにまで至る

広く分布する

遊牧民トュルク系民族であり、

宗教もイスラム教シーア派となります。

 

 

歴史も文化も言葉も民族も異なる集団が

小さな地域に暮らしていても、

それが「緩やかな統治」であれば

争いは少なくなります。

 

しかし、

国境線が引かれ権利が発生すると、

途端にどちらのものか、

というものになります。

 

白人はこの愚を世界の植民地で侵し、

アフリカなどに直線の国境線を引き、

民族紛争の火種をばら撒いていきました。

 

アルメニアとアゼルバイジャンは

直線の国境線が

引かれた訳では無いですが、

緩やかに混在する地域に

明確にどちらかのものという

判断が下されることで、

勝者には権利、

敗者には危機意識が

芽生えてしまいます。

 

海の国境線で分かれる日本人には

想像が難しいですが、

陸の国境線は、

必ずしも民族、宗教、文化の

境界線ではありませんので、

緩やかに混在する地域に

引かれた国境線は、

引かなければいけないものであるものの、

引くと火種を産むものでもあります。

 

この火種を強力に消していたのが

「強い統治」のソ連でした。

 

利害の異なる集団を

対立させない様にするには、

強い権力をもって

抑え込む事が重要となります。

 

幕府の権威が強かった時代には

日本には戦乱が無く、

幕府の権力が弱くなり戦国時代が始まる。

 

日本史に置き換えても

権力と平和の関係は同じです。

 

 

これは統計学でも明らかにされていて、

安全保障を統計学の視点で考察すると、

互いに戦闘をするように作り上げられた

戦国乱世のモデルから、

戦闘が起こらなくなるのは

一つの強大な勢力が

誕生した時となりました。

 

他に少数の小国が残っても、

小国は挑戦しませんし、

大国もいつでも潰せる相手に

計算上でも戦闘は仕掛けず、

世界が安定します。

 

ソ連が

ナゴルノ・カラバフ紛争を抑え込み、

ソ連の弱体化、

独立と共に戦闘に発展する。

 

まさにその通りです。

 

 

ナゴルノ・カラバフ紛争を

安全保障学の知見として

考察するのならば、

 

①「国境」とは権利の境界線であり、

民族、宗教、歴史の境界線では無い。

 

それが故に、

 

②多種多様な人々が共存する

「緩やかな統治」の維持は難しく、

不満を抑え込む「強い統治」が無ければ

平和を維持出来ない。

 

③民族・宗教などの混在地域となる

緩やかな境界線には大きな火種がある。

 

という事でしょう。

 

バルカン半島が

かつて火薬庫と呼ばれたのも、

ヨーロッパ系、スラブ系、アラブ系と

他民族が暮らし、

カトリック、正教会、イスラム教と

宗教も混在する地域だったからこそ。

 

それをユーゴスラビア連邦が

強い統治で抑えていたものの、

弱体化する事で1990年以降も

再度紛争地域となってしまいました。

 

 

平和を唱える人の中には、

武器や強い統治に

拒否感を示す人もいますが、

強い統治が無い地域がどうなるのか、

世界の歴史が証明しています。

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