辞任する総理の心情に

思いを馳せたミュージシャンに

 

「早く死んだほうが・・・」

 

と述べ、

「謝罪」らしき投稿でも、

知性が無いからガッカリ

と、やはり批判した

京都の大学講師がいます。

 

大学院を出ても、

大学で職を得ていない私に比べれば、

同い年で

講師の職に就いているのですから、

遥かに知性と教養に

溢れる人物なのでしょうけど、

わざわざSNSで

自分とは異なる陣営の人に対して

「早く死ね」と投稿するくらいなら、

私は彼に批判されるような

無知な人間で良いや(笑)

 

 

さて、

この件に限らず、

SNSを含めネットでは

自分と相容れない者に対する

罵詈雑言、ヘイト、脅迫が

溢れていたりします。

 

それは政治的対立、

社会問題における対立、

好きなアイドルを巡るこじらせ、

など色々な

「自分の思い通りとは違う」

事に対する寛容性が欠如しています。

 

しかし、

それはネットの特徴では無く、

人間・人間社会が持つ

「醜い部分」がネットによって

表層化しやすいだけであり、

問題の本質は

 

「すぐに排他的になる人間社会」

 

というアナログな部分にあります。

 

 

誰しも「排他的」な部分は

持ち合わせています。

 

私も排他的な人間である

自覚はあります。

 

政治問題化するような

人種差別に限らず、

 

〇〇県の誇りにかけて!!

〇〇高校野球部の気合を見せるぜ!!

これだからサッカー部の連中って・・・

 

一般会話で珍しくなく聞くような

会話だと思います。

 

しかし、

この中でも人間を

「自分たち」と

「自分たち以外」

に区分しています。

 

よりソフトに

「どこ出身??」

「大学はどちら??」

でさえ、

出身地、大卒、卒業大学

などで人を区分し、

同じだった場合

「私も同じです!!」なんて喜び、

親近感を覚えますが、

それも排他性の一種です。

 

つまり、

「排他的」であることの全てが

悪い事な訳ではありません。

 

「自分たち」の範囲を定める事で、

結束を強めたい、安心したい、

という心理が働きます。

 

 

ただ、これが時に

凶暴性を帯びる時があります。

 

 

人は線引きをした時に、

その内部の人間に対して寛容になり、

結束が強くなります。

 

人間性はどうでも良く、

重要なのは、

そこに引かれた何かの線です。

 

学歴、出身地、所属企業、趣味、

支持政党、人種、宗教、

本当に線は何でも良いんです。

 

 

5人組で行動していたのに、

ある日突然1人に対して線を引き、

「自分たち」と「1人」になる。

 

小さなグループでさえ起こる事態です。

 

5人で誰かに対して

排他的である内は結束が強まりますが、

排他的になる対象が失われた場合、

自分たちの中から

排除される誰かを選び、

残りの4人の結束を強めて

安心するんです。

 

例えば、サッカーのワールドカップ。

 

国の代表チームに対して

熱狂的支持を見せ、

他国のファンに対して

暴力的行動を起こす国もあります。

 

一致団結して他国のチーム、ファンに

憎悪を向けますが、

ワールドカップが終わり、

自国内のリーグ戦に戻ると、

数か月前のワールドカップでは

一致団結した

AチームのファンとBチームのファンが

暴力沙汰に発展する、

なんてケースは多々あります。

 

 

線の引き方1つで、

人は誰かに排他的になるのです。

 

 

それが暴力性に発展する過程は、

明日の記事に続きます

 

 

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