日本人が最も「平和」について

考えるのが8月だと思います。

 

では、

その「平和」とは何なのか。

 

「平和」を声高に訴えている人でも、

案外その定義は曖昧だったりします。

 

 

何故か。

 

 

それは

平和とは状況を説明する

単語でしか無いからです。

 

「消費税率を10%にします」

「食料自給率を上げます」

などは具体的な目標値がある

施策となります。

 

しかし、

「平和を実現します」と言った場合、

戦争状態でしたら、

和平を実現させる事が成果となりますが、

今の日本で平和と言われた場合、

何が足りなくて、

何を充足させるのか、

具体的な目標は見えなくなります。

 

 

結論から言えば、世の中には

 

「戦闘状態」と

「戦闘の無い状態」

 

しかなく、

「戦闘状態」とは

戦争でも内戦でも武力を伴う対立でも、

具体的な武力を用いた攻撃に

晒されている状態を指し、

それらの攻撃に晒されない

「戦闘の無い状態」を

我々は一般的に「平和」と呼びます。

 

仮にどんなに政治的に対立していても、

軍事的に開戦していなければ

それは「平和」となります。

 

「冷戦」期が大国にとって

「平和」だったように。

 

ソ連が1939年に

「ソ連・ポーランド不可侵条約」

を破棄してポーランドに侵攻、

1945年に

「日ソ中立条約」を

破棄して日本に侵攻したように、

条約は平和を保障せず、

平和とはあくまでも

戦闘の無い状態を指します。

 

 

では、

戦闘の無い状況である平和を、

日本はどのように生み出して来たのか。

 

日本が国際的に

危機に陥った場面を考えてみます。

 

 

663年、白村江の戦の後、

日本が支援した百済は滅亡し、

唐・新羅が朝鮮半島を支配します。

 

唐による日本侵攻に備え、

天智天皇は対馬や九州北部を中心に

防衛拠点となる城を築きます。

 

 

次に1274年、1281年の元寇時、

一般的に「神風」によって

撃退したと言われますが、

九州在地の鎌倉武士団の

活躍は目覚ましく、

対馬や壱岐は蹂躙されましたが、

1274年は九州北部で食い止め、

さらに防塁を築き応戦した1281年は

より効果的な防戦で食い止めます。

 

 

戦国時代、

ポルトガル人とスペイン人が

鉄砲とキリスト教を「伝来」させたと

教科書的には書かれますが、

それはキリスト教を

美化し過ぎた言説であり、

実態はアジア制服計画の一環に

日本が晒された時期と言えます。

 

1492年に

コロンブスがアメリカ大陸を発見し、

その後スペインは

1521年に

メキシコのアステカ文明を滅亡させ、

1533年に

南アメリカのインカ帝国の皇帝を殺害し

傀儡政権を立てると、

1571年には最後の皇帝を処刑し

インカ帝国を滅亡させ、

中央アメリカのマヤ文明も

徐々に勢力を削られ

1697年に全域が占領され滅亡します。

 

実質的には100年程で

中央から南アメリカの広大な土地が

スペイン領に組み込まれます。

 

それがスペインの思惑であり、

その手はアジアに及び、

アステカ文明が滅んだ1521年、

マゼランがフィリピンに達し、

1542年には

スペイン国王フェリペ2世の土地

ということで

「フィリピン」と名付けられ、

1571年、まだ織田信長が

室町幕府を滅ぼすより早く、

フィリピンの大部分は

スペイン領となります。

 

そのスペインが、

日本にだけキリスト教を

「伝来」させたと

考える方が甘過ぎます。

 

スペインの目的はあくまでも日本占領と、

その日本を先兵とした明の攻略です。

 

 

しかし、この時も日本の軍事力が

日本の平和を守ります。

 

1575年、長篠の戦いにおいて

織田信長は数千丁の鉄砲を用います。

 

この戦いにおける織田軍の鉄砲玉が、

タイの鉱山で採れた

鉛を原料としている事が分かっており、

スペイン、つまり宣教師が

関与している事は明らかとなっています。

 

 

しかし、この戦国期を通した

日本の鉄砲の爆発的普及が

日本の運命を変えます。

 

 

つまり、スペイン人の手を離れて、

鉄砲が日本でどんどん量産化され、

それを日々の戦闘の中で

戦術が洗練された日本は、

スペイン遠征軍で

征服出来る国では無くなりました。

 

信長の軍事革命、

秀吉、家康の宣教師追放によって、

日本は守られます。

 

 

日本が如何に

外国からの侵略、

外国の支配を跳ね除けて来たのか。

 

それは

「平和を願う心」

などの綺麗事では無く、

北九州の城郭群や

鎌倉武士団の軍事力、

数万丁を超えた日本の鉄砲の力でした。

 

それらが侵攻を企てる側の

侵攻意図を挫き、日本に

 

戦闘の無い状態=平和

 

をもたらしました。

 

戦国時代は殺し合ってましたが(笑)

 

それでも徳川政権下での長い平和は、

その戦国時代の軍事力がもたらした

数百年の恩恵でした。

 

平和と日本の安寧を願う時、

信長が揃えたような大量の新鋭兵器と、

鎌倉武士団の気概を

持ち合わせなければ、

むしろその平和への願いは、

多くの滅ぼされた文明や国家のように

消えてしまうのです。

 

 

「平和」とは

「戦闘の無い状況」を指しますので、

相手の戦闘意志を挫く「軍事力」

実は平和の対極にある存在ではなく、

最も考えなければいけない

要素となります。

 

 

 

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