私は城好きです。

 

しかし、

天守閣好きではありません。

 

天守閣の多くは

江戸時代に建てられたもので、

城を美的に強調したり、

その巨大な佇まいから

統治の象徴としての役割はありますが、

「城」という軍事的な存在を

補強する価値としては

ほぼ無価値ですからね。

 

平和な時代の

統治の象徴以上の価値はない

天守閣はどうでも良く、

城好きな私が好きなのは

純粋に軍事的な城全体の構造です。

 

城の発展史を見ると、

かつては「柵=き」と呼ばれ、

文字通り木で柵を作って

防御していました。

 

宮城県にある「多賀城」も

『続日本紀』では

「多賀柵」=たかのき

として登場。

 

 

それが「城」となる過程で、

「木」偏から「土」偏へと変わり、

「土」を造「成」して「城」としました。

 

そして「多賀柵」も

「多賀城」=たがじょう

となります。

 

つまり、城とは

土をいかに掘ったり、盛ったりして

防御性を高めているのかが

勝負となります。

 

 

それが織田信長時代から

石垣を積み、

本丸に巨大櫓である天守閣を設けた

巨大城郭が現れるようになります。

 

しかし、

どんな巨大城郭も、

天守閣近くまで攻められて

落ちなかった城はありません。

 

小田原城も

豊臣時代の大阪城も

岐阜城も

鳥取城も落ちています。

 

攻城戦で落ちなかった城としては

真田家が二度徳川の大軍を撃退した

上田城があり、

石の城では無く土の城ですが、

城好きとしてはそれらの城の方が

遥かに魅力的です(笑)

 

 

軍事施設としての城の魅力は、

「キルゾーン」と言われる

敵兵を殺害する為に誘導する場所を

いかに巧みに構築しているかにあります。

 

 

何故攻城戦が行われるのか。

 

 

それは守備側が平地での合戦では

勝てないと思い城に籠るからです。

 

例えば

守備側500人、攻撃側2000人だとして、

平地で戦い、

仮に互角の戦いを繰り広げても、

守備側が全滅した時に、

攻撃側は1500人が残っています。

 

つまり、

守備側がこの戦いに勝つには、

1人が4人を討たなければいけません。

 

平地で1人が4人を討つのは

難しいですので、

遮蔽物のある場所を選び、

身を守った状態で

敵を攻撃しようと試みますが、

その場所が城となります。

 

 

しかも、

その城が真四角で作られ、

2000人に一斉に

四方向から攻められた場合、

やはり応戦しきれなくなり

城が落ちますので、

城は敵の為に

攻撃する際の最適なルートを

設定してあげます。

 

何故か。

 

それは逆にそこからしか

敵が攻めてきませんので、

そこの守備を厚くすることで、

一斉に500対2000の戦いに

なるのではなく、

狭いルート・場所に敵を誘導し、

一時期的には

300対200の戦いなどに

持ち込む為です。

 

この、

敵に分かりやすく作った攻撃ルート、

しかしそこに攻め入ると、

少数の攻撃側が

多数の守備側によって

攻撃される場所が、

殺すための場所

「キルゾーン」となります。

 

具体的には

門周りなどに多く見られます。

 

自粛で引き籠る日々、

鳥観図が載る日本の城名鑑の本や、

地図で城跡をチェックしたりして

空想と妄想と共に楽しみます。

 

そんな時、グーグルアースで

天守などをチェックするのではなく、

ヤフーの地図の地形図などを使って、

地形図から城の成り立ちを

チェックして楽しんでいます。

 

城は構造物より土の成り立ち、

地形にこそ価値がありますからね♪

 

 

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