私が社会的害悪だと思っているものに

「ポリティカル・コレクトネス」

というものがあります。

 

「政治的公正」

などと訳されるもので、

「環境問題」「女性の社会進出」など

社会が抱える各種問題に対する

「模範解答」的存在ですが、

それは同時に

 

「社会全体として

この方向を向かなければならない」

 

と強制する存在でもあるように

私には思えます。

 

元来、

天邪鬼な私にはそのような強制性は、

それがあった時点で

逆方向へと舵を切りたくなりますが、

それだけでは無く、

多くの場合「弱者を守る正義」を

語っているかのように見えて、

それを共有しない

他者の意見も存在も認めない

強者の立場からの全体主義、

魔女狩りのような危険性も

私は感じてしまいます。

 

 

ここ数日、今まででしたら

年賀状として送られてきた

企業や団体からの手紙が届きます。

 

つまり、

「年賀状」から

「クリスマスレター」への変更です。

 

しかし、その文言は

「メリークリスマス」では無く

「ハッピー・ホリデー」です。

 

この2つの変更が持つ意味は

決して小さくありません。

 

「年賀状」は

おめでたい存在であり、

御不幸があった家の方へは

送らないものですが、

企業がリストにある住所に

年賀状を送付すれば、

その中には御不幸があった方も

いらっしゃるでしょう。

 

そのリスクを鑑みて、

年賀状を止めて

クリスマスレターへの

変更となったのだと思います。

 

 

そして、

「メリークリスマス」ですが、

非キリスト教徒にとっては、

何もめでたくない他宗教の

預言者の誕生日(と言われる日)

に過ぎません。

 

どうでも良いある日に

勝手にキリスト教の価値観で

メリークリスマスと言われても迷惑だ!!

と、非キリスト教徒への配慮から

「メリークリスマス」は

排除の方向となっており、

代わりに祝日そのものを祝う

「ハッピーホリデー」へと

欧米を中心に

ポリティカルコレクトネスが

広がっています。

 

 

リスクを低減させる措置であり、

他者への配慮を示すもの、

なのですから批判される要素は無い。

 

確かにそうです。

 

だからこそ、

リスクを嫌う企業などが

こぞってこの流れに乗っています。

 

しかし、

これらポリティカルコレクトネスが

問題となるのは、

その非寛容性です。

 

1月1日になれば、

テレビでも街中でも

「明けましておめでとうございます」

と聞きます。

 

それは御不幸があった方の

耳にも入ります。

 

御不幸を知らない

近所の方、お店の方から

言われる事もあるでしょう。

 

そんな時、

 

「うちは不幸があったんだから、

めでたくない!!」

 

と怒る人は少ないと思います。

 

日本において元旦はめでたいもの、

と社会通念として成り立っており、

それを個人の事情で

ひっくり返すことは基本的にしません。

 

それはキリスト教社会である

欧米もまた同様だったはずです。

 

キリスト教社会だからこそ、

「メリークリスマス」が

クリスマスの共通挨拶となっていました。

 

そんなキリスト教社会に移住した

非キリスト教徒に配慮せよ!!

とは、

正論なれども横暴でもあり、

逆にそれを強要する非キリスト教徒への

反感へも繋がりかねません。

 

「配慮」と言えば

聞こえは良いのですが、

年賀状がリスクになり、

メリークリスマスもダメになる社会とは、

ポリティカルコレクトネスが

全体主義的に強くなり過ぎ、

他者の違いを受け入れる

寛容性のある社会では無く、

むしろ非寛容な社会なのではないか、

そして世界はその方向へと

向かっているのではないかと

感じてしまいます。

 

 

クリスマスにかける言葉は

「メリークリスマス」

ねっ、ミスターローレンス!!

 

 

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